西国徒歩巡礼 区切うち1回目-1

■西国徒歩巡礼 区切うち1回目-1■
2003年から09年にかけて7回に分けて西国三十三ヶ所を巡拝した。 
1回目 2003年4月29日~5月7日
文章を一生懸命書いたのは最初だけになってしまいましたが、そのときの記録をここに公表します。


西国巡礼① 1番から2番

 四国八十八ヶ所の霊場は徒歩野宿の区切り打ちで二回結願している。大阪から、わざわざ四国まで行って遍路したわけだが、地元大阪には西国三十三ヶ所の霊場がある。しかし西国は近畿いちえんに霊場が散らばっていて、徒歩で廻る情報は少なくちゅうちょしていた。
 今、仕事の関係で長い休暇が取れないので、とうぶん四国遍路には行けそうもない。でも西国巡礼なら週末ごとに廻れそうだ。
 そこでゴールデンウイークの連休を使い、札所間の長い1番から2番を歩き、後は週末を使い巡礼して行くことにした。
 昔の人は、自宅から歩いて巡礼を始めたが、わたしは電車で現地に行く。西国だけではなく、この機会に熊野三山を廻ることにした。JRで紀勢本線の新宮まで行く。

●1日目(2003年4月29日)熊野速玉大社から那智駅まで 歩行距離約14km
 4月29日早朝、JR天王寺駅を6時41分発の和歌山行きの普通電車にのった。普通を三回乗り継ぎをして新宮に午後1時42分に着いた。
 駅から泥層の上に浮く「浮島の森」により、熊野速玉大社に行く。わりと地味な境内で、拝殿には本地仏である仏像の掛け軸もかかっていた。神社の中で仏像の掛け軸が珍しく思えた。
 御朱印を貰うと「神倉神社の御朱印も、ここで押しますがどうですか」と神官に言われた。隣のご婦人方は同じようなセールスをされ断っていた。私は神倉神社までの行き方を聞きたかったので、神倉神社の御朱印もお願いした。
 次の目的地青岸渡寺の方向と同じなので神倉神社に行くことにした。少し国道沿いに歩き、山に向うと鳥居があった。とても急な石段が続く、それも自然石を使った大小ガタガタする歩きずらい石段だった。階段を上りきると右側に岩盤が現わる。左側は視界がひらけ新宮市内が一望できる。小さなお社がゴトビキ岩にへばりつく様に設けられている。このゴトビキ岩と岩盤の裂け目は、女性の○○だとのこと、しばらく見つめていた。
 ここの下りは恐い、凸凹した石で不定形に作られているので、足を滑らせたら大事になりそうだ。この石畳を松明を持って駆け下りる「お燈まつり」があるそうだ。

 それから国道沿いに、歩いた。王子跡や古道もあったが、それらによらず、ひたすら那智に向けて前に進んだ。夕方になり、考えて見ると、昨晩使っていた懐中電灯を、今朝ザックの中に入れた覚えがない。ザックの中を確かめて見ると、やはりなかった。
 スーパーを見つけ、そこにただ一つ残っていた単1を二本入れる防水懐中電灯を買った。そこでザックの後に百円ショプで買った自転車用のピカピカひかるテールランプをつけた。胸には反射するたすきを掛けた。ザックの肩ヒモに吊るした胸の前にあるカバンには元もと反射板がついている。
 人家のあるところには歩道や、路側帯があるが、そのほかは歩行者のことを考えていない道である。
 夜八時前にJR那智駅付近に着く、今朝電車で通過したときに、海辺に公園があり野宿できるかも知れないとチェックしていたところだ。
 駅前に食堂はない(さっきのス-パの近くにあったが)どの店も締め切って寝る時間だ。やっと見つけた酒屋でポテトチップスとカステラ風の菓子を買い駅で夕食とした。
 駅に隣接して温泉「丹敷の湯」があって600円で入浴した。カランは6組しかなかったが、浴槽は大きくて、入浴者もボチボチで、気持ち良く湯につかった。
 風呂から上がり、しばらく駅で座りながら、ここで寝ようかと考えた。天井は高くガランとした結構広い無人駅で、長椅子がゆったりとした間隔で4組ほどならんでいた。その紀州材で作られた真新しい長椅子は、熊野古道のキャンペーンで贈られた物だと思う。紀勢線の各駅のホームにも置いてあった長椅子だ。長椅子とは言いながら二つの仕切りがあり、その上に横になることはできない。
 駅で寝るなら土間に寝るしかないし、最終の電車が11時過ぎにある。疲れていて、直ぐに横になりたい。
 そんな訳で、さっき見当をつけていた暗がり行くと、どうも神社らしい、拝殿の軒下の縁側にシート、マットを引き寝袋に入り寝た。真っ暗闇なので周囲が気にかかることなく寝入った。

●2日目(4月30日)熊野三所大神社から地蔵茶屋跡 歩行距離約15.4km
 気がつくと空は明るくなっていた。あわてて荷物をまとめた。神社には早朝、お参りや散歩に来る人がいる。神社の軒下で寝たのを近所の人にあまり知られたくない。
 昨晩はわからなかったが、私が寝た場所は熊野三所大神社と呼ばれている立派な神社で浜の宮王子社跡でもある。隣には、ぜひ寄って見たかった補陀洛山寺があった。補陀洛渡海した僧侶の名が刻まれていた。再現された渡海船があるらしいが、早朝なので見れなくて残念だった。
 那智の滝まで、熊野古道の標識をたどって王子跡に寄りながら、畑を見て、民家の間を進んだ。私は四国遍路と同じく「おはようございます。こんにちわ」と声を掛けながら歩いた。「尼将軍の供養塔」へ行く標識があった。供養塔へ行くのに時間はかかるのか、今いる場所は、この地図の何処なのか、知りたかった。ちょうど出てきたおじさんに声をかけると、地図が良く見えないとメガネを取ってこられ、説明を聞かせてくれた。尼将軍の標識を地図にチェックだけして、勧められた旧道を進んだ。
 ちょっと高台の開けた場所から、大門坂への上りがはじまつた。

こんな立て札が立っていた。
    告 入山心得
   熊野の神社佛様は大自然そのものです。古道を歩くとき、次の約束を守って下さい。 
   ●持って来たもんはぜんぶ持って帰ってよ。
   ●残していってええのは足あとだけやで。
   ●持って帰ってかまんのは土産と思い出だけやで。
         火の用心   那智山商店会

 巨木と一緒に私も記念写真を取りたかったが、まだ朝はやいから頼める人はいない。上り口の夫婦杉だけを写真に撮った。巨木がつらなるなか、古くからの石畳の階段を歩いていく。雰囲気は江戸時代だ。息を切らせて上った。そんな長くはなかった六百メートル程だそうだ。石畳が終ると直ぐ、売店が並ぶ参道に入る。
 階段を上っていくと神社と寺と分かれるので、私は右の青岸渡寺の山門をくぐった。直ぐに本堂の軒下にあった椅子にザックを下ろし、しばらく息を整えた。
 たらない巡礼用品を本堂の中の売店でそろえる。金剛杖(2000円)納め札(200円)白衣(ここでは長袖の笈蔓と言う1500円)輪袈裟(四国と同じように、西国三十三ヶ所と書いてあるのかと思っていたが、那智山青岸渡寺としか書いてなかった2000円)納経帳(墨書、朱印済み2000円)。菅笠や手甲はおいてなかった、白衣はLが欲しかったが、ワンサイズしか置いていなかった。そして白衣の生地は遍路用品として一般的に手に入る物より、薄く良くない。
 納経帳は「お祓いずみ」として墨書、朱印が押してあつた。納経帳に日付を入れるという、私はお参りしてからと言いそれを断った。四国遍路では基本的に納経帳に日付を入れないが、西国の納経帳には日付の欄がある。どうも、前もっての墨書朱印には、有り難味がない。良かったのは小型の納経帳があったことだ、おおさかの仏具屋では大型のしか置いていなかった。
 身支度をして、本堂に入りなおす。お坊さんやお守りを売る女性が立ったまま「お疲れ様でした。」等と参詣者に声をかけている。四国遍路では見なかった光景だ。私が経を読んでいた時には、お坊さんが参詣者に寺の来歴を説明していた。
 私は、とてもたどたどしく観音経を読んだ。内容や繋がりを考えられず、次々の漢字を読むだけで精一杯だった。そのたどたどしい恥ずかしさを思い、周囲の人を感じて、経に集中できぬまま、長い観音経を読み終えた。
 本堂内を見てまわって「オセタ」を見つけた。三十三度行者が背負って巡拝した箱で、三十三ヶ寺の御本尊を奉ってある。その行者は33回の西国巡拝をもって満願とし擬似葬儀し生まれ変わりの儀式をした。

 それから那智御滝まで下っていった。寺の参詣者より人が多かった。寺にはいなかった団体客が何組も、次々に来る。車道から滝までの急な石畳の階段に尻込みして座り込んでいる人もいた。下りきった広場から133メートルの滝を見上げる。本で見た金幣が見えた。
 ここに飛滝神社の社務所があり、「お滝拝所(お滝水滝つぼ近く)片道2分程でいけます 御参入料300円」と書いてあった。
 長らく御参入しようかどうか考えた。ここまで下ってくる間に青岸渡寺の三重の塔に200円払い上ったが大した事はなかった。しかしもう一度これるか分からないしと思いながら。結局300円を惜しんでお滝拝所には行かなかった。(大阪に帰ってから、この文を書きながらお滝拝所に行けば良かったと思いだした。)
 10時頃土産物屋で今日始めての食事をした。土産物屋ばかりで食料品店を見つけられず、お土産屋で飴と饅頭を一箱買った。
 熊野那智大社は朱塗りの社殿で、御朱印と熊野牛王を貰った。

 青岸渡寺の鐘楼横から熊野古道の道が始まる。「那智第二瀧1.5km 第三瀧1.7km」の標識があり、見
に行こうか迷ったが結局先を急ぐということで、そのまま歩いた。直ぐに整備された、東屋もあり、芝生の斜面が広がる、長い長いスベリ台がある那智高原公園の中を通過する。
 登立茶屋跡で反対方向の本宮から来た8人位の登山の服装をした中年男女とすれちがった。ガイドが引率し、宿泊しながら熊野古道を歩いているようだ。
 3時30分に地蔵茶屋跡に着く。沢が流れて、東屋がある、そして立派な便所がある。林道が通っていて、プレハブの小屋がある。さらに言えば山火事の為か消防につながる非常電話が設置されている。
 この先にも休憩所はあるらしいが、水はなさそうだ。少し早いけれど、寝床はここに決めた。昨日は風呂に入ったが、洗濯は出来なかった。着替えは一組しか持っていない、沢で洗濯をすることにする。
 那智の方から青年が下りてきた、私のいる東屋を通り越し地蔵堂の前のベンチでゆっくりしていた。

私は心の中で早く先に行ってくれと願った。私が洗濯をしだしてもベンチに横になっていた。
 私は彼の側まで行って、どこまで行くのテント持っているの、と声をかけた。彼は「ここならテントを張れると聞いてきた、小口自然の家に電話したら泊れないと言うのでテントを持つて来た」と言った。私はテントを張ると朝露で濡れたり,しまうのに大変だろう、良かったら東屋で一緒に寝ませんか、と言った。彼は「決心がつかずにグズグズしていました。明日のこともあるから、もう少し先まで行って見ます。」と言った。
 この日、シャツ、パンツ、靴下を沢で洗濯した。その晩、少し風があり、洗濯物は朝までに乾いた。
東屋の隣にある便所は暗くなってから人が近づくとパッと電燈が点く仕掛けになっている。

●3日目(5月1日)地蔵茶屋跡から熊野本宮大社 歩行距離約29.3km
 空が白みはじめた、4時30分出発、ほどなく石倉峠に着く。5時45分、越前峠に着く、最大の難所と
書いてあったが、上り一辺倒だったが、足場が良く、なんなく登れた。

 四国遍路では山中の遍路道にハガキほどの大きさで道標や励ましを書いた札が吊るしてあった。熊野古道では見かけなかった、しかしあつた。「西国観音巡礼 念彼観音力 四国鯖大師 沙門明善」と四国遍路で見かけた鯖大師の札だ。
 熊野古道は西国巡礼としての標識は少ない、巡礼として歩く人は見かけないし、ほとんどの人は私とは逆の方向に進んでいる。だから、ほとんどの標識は私の行く方向とは逆を指している。(それで、標識の設置場所により、標識が認識しずらい事がある。)
 数は少ないが西国巡礼の標識は一種類あった。直径12cmのプラスチックの札に「西国三十三ヶ所巡礼道」と矢印がある。熊野古道とは反対方向を指していて、ありがたい札である。

 越前峠まで登った。熊野古道の最大難所といわれる大雲取越えだが大したことないと思った。
 大雲取越えも胴切坂と呼ばれる下り一方になる。長い下りを進む、石畳の所、地道では小石が混ざっていて歩きずらい、果てなく下りで,膝にふたんがかかる。若い頃、普通の山道なら時間を稼ぐため駆け下りるのだが。
 一度、浮石に足をのせてこけてしまった。体側に膝から落ちたので大したことなかった。下り坂は恐いと思った。もう少し無理をすると、右の膝と右の足のつけねが悪くなりそうだった。
 8時45分には大雲取越えを終え、麓の小口に下りた。9時にやっと食料品店が開いたので、菓子パンとかっぱえびせんを買い食事とした。小口からしばらく里を歩き小和瀬の渡場跡に公衆便所がある。そこで説明板を読んでいると、音楽を流すトラックが停まった。しばらくして、さんさんごご人が集まり食料品などを買っていた。
 小和瀬橋はガイドブックには吊橋となつていたが、コンクリートの橋が2002年に竣工している。人家の間を通って、犬に吠え立てられながら山に入る。小雲取越えは道幅も広く、大雲取越えしてきた安堵もあり、のんびりと歩いた。それでも胴切坂ほどではないが下りが続くので膝が笑いかけた。
 夕方5時過ぎに熊野川ぞいの国道に着く。本宮町の街の入口で野菜炒めライスを食べる。久しぶりまともな食事だった。
 広い石ばかりの川原の流れ沿いに女性立っていて此方を見ている。しばらく視線を感じていたが、よく考えよく見ると案山子だった。足は一本しかない、あまりにも遠くなので人間に見えた。
 大斎原(おおゆのはら)に行く。国道沿いの鳥居をくぐり一度、水辺に下り、中瀬にある森へ入る。
高い木々に囲まれた、広場には、小さな石祠二殿が中心にあった。その他にか「一遍上人神勅名号碑」
という直筆の南無阿弥陀仏の碑があり、驚いた。神社の聖地に佛者の碑があることに驚いた。暗くなってきて、碑文は読めない。そのままもとの国道に戻り本宮に行く。
 熊野本宮大社の入口につく、既に真っ暗になっており、入口にある幟などは分かるが参道の先は暗闇だ。夕方にあわただしく食事したが、改めて食べたいと思っていたが街は暗く食堂は見当たらない。本宮の門前に食料品店が開いており、そこで菓子パンとポテトチップスを買い門前の灯篭の基礎に座り食べた。
 この先に道の駅があり、(何年か前に自転車で来たことがある。)そこで泊ろうかとも思ったが、直ぐに寝たかった。今晩は雨の心配がいらなし、あまり暗い中うろうろするのも地元の人に悪いので、入口近くの参道の暗闇に入り、土の上にシートをひいて寝た。木々が空を覆った。
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by henroseikatu | 2010-03-07 17:18 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)
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