西国徒歩巡礼 区切うち5回目

■西国徒歩巡礼 区切うち5回目■
5回目 2008年9月21日~25日
西国三十三ヶ所徒歩巡礼
区切り打ち 五回目(20番から番外花山院)c0099020_913620.jpg


●9月21日 月曜日から台風が去るのを待っていたら、のろまな台風がやっと関西を通過したのが土曜日であった。さっそく日曜の朝、出発した。前回終えた阪急京都線東向日駅から歩きだす。市街地から出る前に道を間違えた、感で方向を決めて、また道が分からなくなった。とても時間をつぶした。後から考えると「大きな道を横断する」とだけ地図を見て思い込んでいて直進してしまった。現実には歩いていた道が鋭角に道と交差し左に曲がったことになった。
迷っているうちにポチポチと降っていた雨が激しくなり、そのうちバケツをひっくり返す様な勢いの雨になる。農家の納屋で雨宿りする。少し雨の勢いがなくなったので私は合羽を着て傘をさしながら来た道を戻った。道が分からなくなった時は分かる所までもどる事が肝心である。
激しい降雨はやがて止んだが、この日幾度か軽く雨が降った。天気予報どうりだ「近畿中部、曇り所により雨」の予報だった。こんなに激しいとは思っていなかったけれど。
ようやく巡礼道にもどる。(地図の道に南側に平行に善峰道と呼ぶ府道があり私はその道に進んでいた。その道は竹薮を通っていた、やがて善峰寺へ行くのだろう)田圃では稲刈され脱穀された藁が山型に組まれ並んでいた。そして畦は彼岸花の赤に染められていた。まだ稲刈されず黄金の穂がたわわに実った田圃もあった。
c0099020_9104511.jpg鋪装された上り坂を歩いて、11時半に西国20番札所善峯寺に着く。「遊龍の松」という全長50メートルまで水平に枝を伸ばされた天然記念物の五葉松がある。入山料払ったからちゃんと見た。庭園は手入れが行き届いている。しかしこの季節ではが目立った花は咲いていなかった。
釈迦堂そばの北門を抜けると東海道自然歩道につながる。地図(*)とは違うが北門を抜けると三鈷寺を通過し左折すると、上り坂になり地図の自然歩道につながる。後は道なりでT字路につきあたる。そこでで左に折れる。(道標には右矢印で金蔵寺と表示)
次の寺も今日中に参るつもりでいた。5時までには着かなくてはならない。しかし道端に停めてある乗用車の中のカップルに遠慮するあまり、じゅっくり地図を見られず、道を間違えてしまった。今日中に次の寺に着くのをあきらめた。それでコースを外れ亀岡市街地の方に向かった。c0099020_91348100.jpgその高台で「曙台九条の会」の看板があり、憲法九条の内容が書かれてあった。スーパーでトイレを使い、靴下を脱いで足を休め、濡れていた衣服を乾かした。そこで一服した後、国道添いで食堂に入った。
その後、倒産したガソリンスタンドのフェンスをのりこえた。軒下のコンクリートの上にシートを敷き薄手の寝袋に入って寝た。横になったころからまた一時、激しく雨が振り出した。
◎1日目 京都向日町から亀岡市街 20番善峰寺参拝 約27キロ歩行


●9月22日 3時頃起きだした。寺に向かうのには早すぎたので亀岡駅の方に歩きだす。駅のベンチに座って足の手入れをした。水虫の薬を塗り、メンデングテープを貼った。駅は最近新しくなったらしい。ベンチがあるのでここで寝れたかもしれない。駅の北側には広大なコスモス畑が広がっていた。それからお寺に向けて歩きだした。途中コンビにでパンと新聞を買いコスモス畑で朝食とした。
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西国21番札所穴太寺は農地広がる平地のお寺で狭い境内だった。入山料などは取らなかった。(20番善峯寺は500円取られた。)しかし 本堂拝観料300円それに庭園も見れば500円払わなくてはならない。本堂拝観は8時半からだというので、時間を待ち、本堂のみ拝観する。薄暗くなっている畳敷きの本堂にはいる。左側から本堂に入り御本尊の右奥の涅槃像を見にいく。暗くて見えないと思っていたら、パッと照明が明々と点いた。人が接近したので照明が点いたらしい。親しみのもてる木造の小振りの仏さんでした。無料だと誰も彼も涅槃像にさわり過ぎて・・・。締めきられた本堂の中で座込み、ゆったりとした気分で観音経を読むことができた。こんな形の有料は在りかと思った。
寄り道になるが、山門からちょっと西に行くと南に延びる「近畿自然歩道(犬飼川の流域 を訪ねるみち)」があった。田圃の中を通る 自動車のほとんど通らない道であったが方向が違ってきたので地図の道に戻った。道標がなくて不安になりながら道なりに進む。c0099020_8462167.jpg桜峠の表示は見付けられなかったが「まつたけ山 に付入山禁止」と紐をはったりフェンスをは っているところが桜峠だろう。その先の学校近くの東掛交差点の越すと食料品店を見つけ、ここで昼飯の買い出しをした。京都府亀岡市から大阪府茨木市に入る。忍頂寺あたりから「キリスタン自然歩道」の道標に従い右側の林沿を歩く。「愛と光の家」前を下り直ぐ右に曲がり坂を登りきる、そこで道標にしたがい左にまがる(このあたり地図では良く分からない、キリスタン自然歩道の道標で大岩を目指すと良い)
私は山手台で崖の下を真っすぐ進行してしまい道を間違えた。たぶんバス停のあるところから宅地のある坂上に登って行かなければならないのである。
計算では夕方に寺の参拝をするはずだったが今日も道を迷い夕闇になっていた。それで茨木駅を目指して行くことにする。明日の寺は駅から近いのだ。中央公園に行くと公園で野宿するらしい人達がいた。ある人はカセットコンロで料理をしていた。電話帳で銭湯を探した、その傍にコインランドリーがあり、風呂に入り洗濯した。12時過ぎに市街を歩き回ったがなかなか寝る場所がない。阪急の茨木市駅の近くのビル地下のエントランスで寝た。
◎2日目 亀岡市街から茨木市駅付近 21番穴太寺参拝 約35キロ歩行


●9月23日c0099020_8475286.jpg 街中を少し歩きお寺についた。階段を上がったとこに「水鉢前にお進み下さい蓮の葉より水がでます」とかかれ黄金の葉から手水が流れた。西国22番札所総持寺は良く植木が手入れされていた。縁起に亀が関わっているので池を見ると、錦鯉がうじゃうじゃしていて中型の亀が申し訳程度にいた。カッコつけずに亀だけうじゃうじゃしとけば良いのにと思った。納経所で、歩きですかと聞かれた。

西国街道説明
西国街道は、古代から京都と西国を結ぶ重要路であり、江戸時代には幕府が直接管理する五街道(東海道・中仙道・日光道中・奥州道中・甲州道中)に接続する脇街道ですが、参勤制度によって多くの西国大名が大阪と京をさけて、江戸への往来に利用した街道です。文化四年(1807年)に完成した「五街道其他分間見取延絵図」によると、京から西国への道は、伏見から分かれて、山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽・西宮の各宿を経て、中国道に続くまでを「山崎道」とし、これがいわゆる「西国街道」です。茨木市内をほぼ東西に走るこの街道は、高槻市土室帳町から茨木市高田町に入って西進し、摂州郡山宿本陣(椿本陣)の前を通って、西豊川町から竿箕面市小野原へと通じています。茨木市教育委員会【路肩にあった説明板より】

国道171線を渡り椿本陣跡を通り、国道の南 側を東に進む、モノレールの豊川駅を過ぎるとやがて箕面市に入る。c0099020_8485919.jpg勝尾寺大鳥居(普通の大きさの鳥居だった。)より北上すれば表参道になる。国道添いに食堂が並んでいて王将で昼食をとった。車道を登って行くとやがて畑の中を経て山道にになる。
この畑が途切れる地点に以下の看板があった。
「お願い 害獣(イノシシ他)による農作物の被害に困り、この度当参道に金網扉を設置致しました。開閉の際は必ず戸締りの御協力をお願い致します 栗生外院実行組合」
【今回の行程で、この登りだけが土の道であった。東海道自然歩道であったり林道もあったが、いずれも車が通ることを想定しておりコンクリートあるいはアスファルトで舗装されていた。】
最後の丸太階段を下ると道路を挟んで西国23番札所勝尾寺の休息所で入山券を買う。山門をくぐると池にかかる道になる。その橋のしたから霞がたなびくようになっていて、こってるなと思った。境内要所に5、6センチ程の達磨が限りなく置かれていた。植栽の根元や壁の上にも達磨が幾つも並べられていた。木造でひび割れているものもあった。京都清水寺のように一方通行になっていて、どうも整備されすぎ気分がのらない、団体や行楽客も多く、私はまともに参拝しなかった。その昔紅葉の時期にハイキングコースから来たときはもっと居心地が良く思えたのに。
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箕面大滝でしばらく休憩する。観光客が多い水場で子供たちが遊び、家族ずれがシートの上でくつろいでいる。餌つけを止めて猿を自然に帰すための監視員がいた。そういえば今日は祭日秋分の日であった。滝から麓まで歩き、箕面温泉へいくエレベーターの前で1時間ほど仮眠した。それから街灯がほとんどない暗やみのなか、ザックの後に赤いライトを点滅させ首に白い点滅ライトを下げ巡礼道を歩いた。西行して池田市に入る。猪名川を渡ると大阪から兵庫県の川西市に入る。この橋は昔、順礼橋と呼ばれたらしい。川西側の堰堤にそって高速の橋脚が立っていて、その下が公園に成っていた。私は街灯が照らさない橋脚の足元のコンクリートの上に寝た。
◎3日目 茨木市駅付近から川西市呉服橋 22番総持寺23番勝尾寺参拝 約29キロ歩行


c0099020_8525720.jpg●9月24日 国道176号を西行くする。札所 の開く時間までは十分あるので福地山線川西池田駅でコンビにで買った新聞を読み、パンで食事する。まだ5時前で閉まったシャッターの前で二名の男の人が始発を待っていた。JR線沿いに歩いていくと、右手山側を走る阪急線からJR線を跨ぐ高架がある。その先に阪急の車庫がある。その高架をくぐると直ぐ左に公園があった。そこには便所と水道ベンチもあった。私はそこで靴を脱ぎ靴下も脱いで休憩した。そこから少し先で右に折れ阪急宝塚線の踏み切りを渡り西行する。このあたり「巡礼街道」(およそ高さ1m20cm 幅40cm)という道標があった。中山駅から北行 してすぐ山門がある。山門に仁王があるが、反対側門の内側から山門を見ると木造の狛犬が鎮座している。山門をくぐると道の両側に塔頭が並びそれぞれが得意な願意をかかげ参拝者に訴えかけていた。そこから本堂まで敷地の高さが二段になっていて、階段とともにエスカレーターとエレベーターがある。JRのエスカレーターと違うよ、上り下り二車線あるのだ。本堂など橙色をめいんに極彩色に模様を染め、飾り金具が黄金に輝いており美しい。
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納経する人は少なく塔婆を書いてもらう人が並んでいた。金をかけている所が違うと思った。エレベーター等に金を使っていることが参拝者が集まる要因の一つになっているのではないのか。そういえば境内の何箇所かでライブ映像をインターネットで流していて、記念撮影をすすめていた。参拝者を集める努力をせずに入山料や駐車料金を取っているだけのように見えるお寺もある。このお寺は営業努力をしている様子がうかがえる。
巡礼街道は阪急宝塚線の北側を西行く。この道は古くからの道らしく、別名、有馬街道、京伏見街道、西宮街道と呼ばれている。宝塚市から西宮市に入ると道は国道176号線を縫 いながら進む。東六甲ゴルフ場過ぎて中国自動車の下を横断して直ぐに右に曲がらなければならなかったのだが、私はそこで直進してしまい北六甲台の団地を回りこみだいぶ遠回りした。
国道176号線沿いに北行し三田市街に入る。 銭湯があればと思っていたが見つけださなかった。JR三田駅の南側の歩道橋上の広場で佇んでいた。5、6人の若い男女が騒ぎたてていた。カップルが何組かいた。まだ夜が更けず街が寝ない、駅周辺での野宿をあきらめる。明日行く番外花山院の方向に歩き途中の城山運動公園を目指すことにする。公園は坂を上りきり、そこからさらに高台に上った所だ。街灯もなく暗やみのなか上りきると、グランドが広がり、その奥に野球場があった。野球場のグランドへの入口がスタンド外壁より引っ込んでいたので、その晩そこで寝た。
◎4日目 川西市呉服橋から三田市城山運動公園 24番中山寺参拝 約30キロ歩行


●9月25日 夜が明ける前、暗がりのグランドをジョッキングしている人がいる。
友が丘団地の給水槽の上にカラスが一羽とまっている。カラスは飛び立つ。右側にゴルフ場がある。やがて道が右にカーブした所にコンビニがあり、そこでカップラーメンなどを食べる。そのカーブを曲がらず真っすぐ細い道に入って行く。途中、トイレがないかと有馬富士への道へ入る。このあたりは古墳がある。
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有馬富士東麓古墳郡 この周辺は、三田市内でもたくさんの古墳があるところです。この古墳群は約1400年前(古墳時代後期)の9基の円墳が集まっており、内部に遺体をおさめる横穴式石室と呼ばれるへやがあります。これらの古墳はこの地域を治めていた人々の墓であろうと考えられます。この貴重な郷土の遺産を永く後世に伝えたいものです。

整備された舗装道が続くがトイレはなかった。(実は木陰で野屎をした。)頂上へ行く登 山道があらわれたが、元気なくて、裾野をまいて車道にもどった。
花山院は小高い山の上、急なコンクリートの舗装の道が続く。私が境内につくと、山道で追い越されたバスの乗客達がいた。老人クラブの人たちだそうで住職がお寺の説明をしていたので、私は参拝の身繕いしながら聞き入っていた。老人クラブの団体が移動したのをみはらかってお参りした。
本尊は薬師如来というので「観音経」よむかどうかまよっていたけど本堂の他に「西国巡礼 本堂 花山法皇殿」としてあった。そこに十 一面観音、花山法皇、弘法大師の像が鎮座しているのだ。そこでお参りした。そこに幾つかの一枚刷りの紙が置いてあり、巡礼の方はお読み下さいと但し書きしてある紙があった。その紙は「巡礼者への法話」とし『納経』とは朱印と墨書をすることではなく(現在は 納経帖に御朱印を集めることが目的になっている。)写経をお寺に納めことです。また『 おいずる』は朱印を集め葬儀の時に着せるものではなく満願の時にお寺に納めるものである。としていた。
お経を唱えることを納経と解釈した話を聞いたこともあり、私は写経を納めずにきた。納経帖が集印帳のようになっていることもいなめない。四国の遍路では本堂前に置いてあるお定まりの「納経」という箱に詰め込まれていて気づかなかった。しかしこの写経をお寺が供養することにこそ納経料の意味があることを確認した。そういえば勝尾寺でも納経所で納めるようになっていた。
麓におり湖の方に少し進と、建物の上に黄金の布袋さんなのか裸で大きなお腹をだした像があった。その像は巨大で遠くから良く目立った。生皇山弥勒寺というお寺で道から見える塔頭の中も華やかに像が並んでいた。
千丈寺湖の南側のコースをとった。水道水のための人造湖で、二つに別れている北側は自然にまかせ釣りなどは許されていないが、南側はエンジンなしのボートと釣りは許されている。湖畔は整備され小さな公園が幾つもあった。ただし火の使用は禁止となっている。
今日も二つ目のお寺にお参りできなかった。花山院でゆったりしすぎて、寺間20キロが歩けなかった。どうせ5時までつけないと途中で芝の上で寝ていた。JR福知山線の広野駅を通過線路の南側を西行する。今日の寝る所は決まっていないし、ここからなら大阪駅まで直接帰えれるしなどと考えているうちに、またコンクリートの上で寝たくないと弱気、里心が出てきた。今回せめて27番圓教寺(約70キロ)まで行きたいと思っていたのだが・・・。そんなこと考えて線路にそつて歩いていた。結局、次の駅、相野から電車に乗り5回目の巡礼を終えた。c0099020_8561120.jpg

◎5日目 三田市城山運動公園から福知山線相野駅 番外花山院参拝 約17キロ歩行(5 日間総計約138キロメートル)
*地図=唯一の西国徒歩巡礼の地図帳「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」発行所西国29番松尾寺
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by henroseikatu | 2010-03-07 21:49 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)
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