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托鉢をすることの⑥⑦

前回は、昨日9月30日の徳島駅の托鉢の話しでした。以下はシリーズでお送りした、9月21.22の始めてのスーパーでの托鉢の話です。完結です。


⑥托鉢をすることの
一応、お金入ってるし安心していた。勤行の他に、警察官もいることだし、警官に憲法守って貰いたいので日本国憲法を朗読した。憲法守れよ警官。
でも後半部分あやふやに成ってしまって戦争放棄が翔んでしまった。
もっとも、声を張り上げずに地声で暗唱したから、聞き耳たててなければ聞こえてないと思うのだが?

そんなことしていたら、「外に出てください」とスーパーの店員らしき人に言われてしまった。
すぐに縁石の上にザックをのせ体は歩道に出した。やばいとは思っていたのだが、歩道が狭いのでザックも体もスーパーの敷地内に置いていたのだ。
目の前を走るこの県道12号線は上下二車線で路側帯がほとんどない、それで自転車が歩道を通るのだけど、歩道の幅は自転車でいっぱいだ。そんな場所なので敷地に入っていた。

オジサンさんと言って小学生の女の子が50円玉を差し出した。私はていねいに受け取りありがとうございますと頭を下げた。

「よう入いったね」と男性が声をかけてきた。自転車に乗って前かごに物を入れていた。
托鉢は午前中だとか、東屋で火を炊くときは注意しなければいけない、とか苦言をいってくる。
ガスコンロを持ってるかと聞き、米をくれると言う。私は今日はいっぱい入ったんで良いですよ、あなたもお使いでしょうから、と言う。
「鴨島では、こうはいかないぞ、托鉢するとすぐ飛んでるから、変なこと言ってごめんね、可愛い返答するから、これ持ってき」と米を差し出した。私はそれを受けとった。二合位、後で炊いたらもち米だった。
私は、このごろ襲撃に注意しなさいと良く言われるが、何か最近事件があったんですか、と尋ねた。
「同じ所にテントで何日も寝ていて、若者に煙たがれて、やられたんじゃないか」と答えてくれた。

続けて、自転車で女性がやって来た。パックした四っのりんごを差し出した。「何にするか迷ったけど、荷物になるけど、きおつけてね」と言って疾風のように去って行ってしまった。

もうしばらく托鉢すればとも思ったが、寝床のこともあるし銭湯に入りたくなったので托鉢を終えることにした。

9月22日マルナカ大寺店で午後5時から7時過ぎまで托鉢して現金3350円の喜捨をありがたく頂いた。

その後スーパーでオレンジジュース1L108円を買い、なんと安い200円の板野温泉に入った。なぜだかその晩夕食を食べていなかった。

⑦托鉢をすることの
二回目のスーパーでの托鉢を終えた次の日には、5番地蔵寺に参拝した。
曇り空の下、歩いていると、雨が降ってきた。軒下に入った後にはザンザン降りになり、さらに雷がなり突風が吹きだした。
そのまま軒下で待機していたら雨雲は去り雨は上がった。
それから歩き始め、地蔵寺に着いた。小降りだがまだ時折降ったりしていた。境内は銀杏が一面に落ちていた、さっきの強風で落ちたらしい。
本堂、大師堂と勤行を真面目に勤めた。そうして落ちた銀杏を掃除している寺の職員の人に、今日は余裕が無いので納経はできません、と断った。
職員の女性は「構いませんよ、また今度お願いします、お気をつけて」と言ってくれた。

山門を出て遍路道を歩いて行く。家が並んで托鉢するのに都合が良いな、次の角を曲がったらしよう、と思いながらも、それが実行できない。
スーパーの前に立って托鉢するのは本来ではなく、門前を次々に訪ねるするのが托鉢なのです。
そんなことを考えているうちに、いや無理に門前に立つこともないんじゃないかと思いだした。

まだ金がある、この金が無くなって本当に困ったら托鉢すれば良い。
逃げかも知れないけれど、托鉢しない理由ができた。

各戸の托鉢について、まだ出来ていませんが、無理にすることはないと思うようになりました。

金銭がなくなって、それから托鉢すべきだと考えました。
余裕のあるうちは托鉢をせず、喜捨されたお金を大事に使い、生活に困れば托鉢することにしました。
お金はあれば使うものです。今までの私の遍路は貧乏といえど金にたよっていました。

喜捨されたお金を生活費に当てて、なんとか遍路を続けて行きたいと思います。
by henroseikatu | 2010-10-01 14:58 | Comments(0)
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