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安芸本町商店街 赤野接待所 掘切の向かい地蔵

10月24日(日)
昨晩は55線沿いの安芸市役所前の屋根の下に寝た。大きな樹木を縦にきってベンチにしてあった。開放的過ぎるかもしれない。開けて安芸の駅前に行くと、バス停に長椅子があって、背に当たる部分が全面ガラスに成っている。仮眠するなら市役所前より駅のバス停だと思った。

安芸を通過するとき、いつも国道沿いを歩るいていたので、今回は海よりの古い商店街「本町商店街」を歩いた。幅が広く、東側は一直線で古い商店も残っていて、往年の賑わいも想像できる。この通りに百円ショップのダイソーがあった。地元の人は、電車の開通と駅近くにスーパーマルナカが出来たので寂れてしまった、と言っていた。
その道を突き当たると、バス車庫のある広場で小さめの東屋が二棟ある。便所もあるよ。

その先、自転車道を歩くんだけど赤野に接待所があった。五人の地元の人は迎えられ、セルフサービスでお茶を入れるシステムだ。

その先、琴ヶ浜でイベントやっていたが、200円の「かつおタタキ」は売り切れでした。無料のすまし汁を飲ましてもらった。

そこから、まだ自転車道が続くのだけど、いつもこのまま自転車道を行くのだけれど、今回は気分を変えて国道を通ることにした。
そうして、進路を国に向けたとたん面白い地蔵さんを発見したんです。

27-28●街道の向かい地蔵[国道55号線より南側、和食川を挟んで]
昔の和食川には橋がなくて、川を渡っている途中で流される人もいた。江戸時代のいつごろか、亡くなった人々の成仏と旅人の安全を願って、お地蔵様が両岸に向き合う様に建てられた。このニ体のお地蔵さまは、向かい地蔵とも見合い地蔵とも言われている。
幅二間の街道を大股で安田の姉の家へ急ぐ坂本龍馬も、お城へ行く中岡慎太郎も袴をからげて川を渡っていったことであろう。
明治二十年代(一八八七〜九六)になって、北のほうに橋が架かり、その長い役目を終えた。
お地蔵さまは長い年月、何もかも眺めてこられたが、ここ掘切は街道、新旧国道、鉄道など時代の移り変わりを感じさせる場所でもある。[2010年四国遍路みちぞい物語]

雨が降って来ました。ざあざあぶりになってきました。
そこで、ごめんなはり線の夜須駅下、高架の下の雨のかからないところで寝ることにします。
歩行距離約16km
by henroseikatu | 2010-10-24 20:56 | Comments(0)
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