托鉢遍路№009 私は乞食である 〜№11

●托鉢遍路№009 私は乞食である 11月7日2011年

大阪から四国に入り6月4日から、ずっと四国を廻って遍路している。
そして、9月の下旬からは、それまでの所持金がなくなり、托鉢で生計を経てている。
本当に、どうしようもなくなり托鉢ができるようになった。
四国の接待の風土や弘法大師信仰に助けてもらって、スーパーの前に立ったり、各家の玄関先でお経を唱えながら喜捨を受けている。
仕事もせずに何不自由なく、飢えることなく遍路を続けている。とても有難い身分で、仏教のことを考え、お経あげ放題の環境があり、毎日自然のなか花を愛で、野菜の育つ様、刈り残された稲の株から出てくる二番穗を見ている。
そんな自由な素敵な、アウトドアー生活である。

(最初書きたかった趣旨と違いあらぬ方向に指が動いた。今回は終わりにしときます。)

●托鉢遍路№010 私は乞食である2 11月8日2011年

「遍路は午前中に各家の門前や玄関前で、その家の先祖供養とご家族の幸せを願い、般若心経を唱える托鉢修行をする事になっています。」「唱えられたその家では、その遍路に喜捨として、金銭や食料を施します。」「喜捨は仏道修行の初歩で、見返りを求めずに他人に対して施しをすることです。観音様のなさっている事と同じです。」と言う内容の事が宮崎さんの遍路地図に書いてあった。


私はそんな喜捨を受けながら生活し、四国遍路をしている。
私みたいな人々が沢山、四国を廻っている。
そうゆう人々の事を通称「職業遍路」「へんど」そして蔑称として「乞食遍路」と呼ばれている。

(やっと主題に入ったがこの先、長くなりそうなので、次回に続く)

●托鉢遍路№011 私は乞食である3 11月11日2011年

私は若い頃から寄場で日雇労働者として働いてきた。寄場は日雇労働者の求職の場であり、また簡易宿泊所と呼ばれる寝場所が隣接している所である。日本の三大寄場として、東京山谷・横浜寿町・大阪釜ヶ崎がある。
私は若い頃は横浜寿町で日雇労働者として港湾荷役や冷蔵倉庫で働いてきた。そして1989年からは大阪釜ヶ崎に移住し土木建築現場で日雇労働をしてきた。
(また主題からそれて行くが、消去するのは忍びなく、このまま続ける。)
2000年には日雇仕事に行けなくなり部屋を出て、いわゆる野宿生活するよくになった。

野宿生活ではあるけれど、たまの日雇仕事で生計を経てていた。また野宿しながら自転車屋で働いていた時期もあった。その後、アルミ缶を集めそれを売って暮らしていた。
最近というか、遍路生活に入る前は、高齢者のための清掃作業での収入が唯一であった。

野宿の最初は、夜が更けてから公園やビルの谷間に寝ていた。その後、阿倍野駅の近鉄百貨店の軒下歩道に毎晩段ボールの箱に寝ていた。それから天王寺公園通路に掘っ立て小屋を建てた。そこを追い出され新今宮駅そばの花園公園に一戸建てを構えている。

野宿生活と言えど主に賃労働で生計を経てていた。

(何を言いたいのでしょうか?また出直します。)
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by henroseikatu | 2012-01-21 13:06 | 托鉢遍路
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