托鉢遍路№035 東洋大師泊まれず 12月13日2011年 

托鉢遍路№035 東洋大師泊まれず 12月13日2011年

北海道くんが「東洋大師泊まったことあるかい、二度と泊まらない、朝早くから起こされてお経を上げさせられるんだ」と言っていた。
東洋大師明徳寺に通夜堂があるのは知っていた。しかし私はまだ泊まったことはなかった。
それで、ならば一度泊まってやろうとなった。

一度58番仙遊寺の朝の勤行に参加したことかあった。宿坊に泊まった人以外に、山の上なのに地元の人も毎日勤行に通っているようだった。そこで初めて生の理趣経を聞いて、CDで覚えた理趣経が間違いでなかったのが分かった。
その後の般若心経は太鼓入りで弾んで楽しくなる読経であった。
そんな経験があり、お寺の近くで野宿した時に、三度ほど、早朝6時に本堂に行って勤行に参加しょうとしたことがあった。
ところがどの札所も、その時間に本堂で勤行をしなかった。
それからは、早朝に勤行に参加しようとは思わなくなった。

昨晩泊まった甲浦から東洋大師のある野根は5キロほどで泊まる距離としては短すぎる。それで時間潰しに海岸で大撮影会をおこなった。いつもの影の他に、ザック君、金剛杖さんそれにキャリーカート嬢が参加してくれた。

私が東洋大師に着いて直ぐに住職が戻られた。
早速、今晩泊めて下さいとお願いした。
「だめ、今晩予約入っているから」と住職は言った。
通夜堂に予約がいるのと思った。後から考えて見ると、加持祈祷の予約が入っていて遍路がうろつくと困るのかも知れない。
その後住職は「まだ遍路やってんの、まだ若いんだから仕事したら良いんだ」と申された。
私はとっさに、いまやっと遍路が面白くなったところです、と言った。

私のことを覚えていてくれたようだ。
前に来たとき住職と話した、その時は托鉢の話を聞いて、大変ですねと住職に言われたように記憶している。

後から、住職の「まだ遍路やってんの」にもっと上手い返答すれば良かったのにと思った。
同じような事言われれば以下のように答えよう。

どうも私は社会との関わり、と言うよりも人間との関わり、人間関係を上手く作れなくって、そうゆう事がストレスになって鬱になったりします。
経済的に恵まれたり、社会的に恵まれたりするよりも、私は人として一番は「心の安らぎ」を得ることだと思うようになりました。
自然の中に身をおき、暑さ寒さを感じ、また四国の人々の暖かい慈悲を受けながら歩く事が気にいっています。私の心の安らぎです。

そのなかで少しでも涅槃彼岸に近づけたらとおもいながら、これからも四国遍路をしていきます。
ちなみに少欲知足、涅槃寂静が私の心願です。
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by henroseikatu | 2012-02-12 15:59 | 托鉢遍路 | Comments(0)
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