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四国遍路で生きる。

以下 (大阪 西成で発行している「働き人のいい分」に投稿した原稿。 

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四国遍路で生きる。
       
私は一昨年、去年と一年の大半を四国で過ごしてきた。今年の3月に大阪に帰って来た。野宿しながら四国八十八ヶ所霊場を歩いて廻っていた。そうやって四国を廻る人々を四国遍路という。
四国遍路は弘法大師が修行なされた霊場を巡りながら四国を右回りに歩く巡礼の旅である。歩いていくと1100kmあまり、40日から50日かかる。
私は要所にある東屋やバス停(屋根と三方が囲まれている)で寝たり、テントを張って野宿している。善根宿や寺院の通夜堂など無料で泊まれる場所もある。民宿に泊まりながら歩く人もいる。
本土では公園で野宿していても、不審者として見られることがある。でも四国では、白装束や菅笠で遍路していると分かれば野宿には寛容で逆に差し入れがあることもある。
私は2001年に天王寺公園の小屋に住んでいた時に遍路を始めた。仕事で貯めた資金で野宿しながら歩きで四国霊場の半分ぐらい廻り大阪に帰ってきた。それからまた大阪で資金をため四国に行き残りの霊場を廻った。
去年は途中で貯えも切れ、托鉢をした収入で遍路していた。四国の野山川辺海辺を気ままに歩るきまわった。
気ままと言っても、地元住民にどう見られるかも考えながら野宿をしなければならないし、腹をすかす事もあり、雨にずぶ濡れになり、寒さに震えることもある。楽しいことばかしではない、色々な欲望を抑え少ない収入で生きるためには我慢も必要である。
托鉢とは遍路が家々を訪問したり、スーパーの店頭に立ってお経を唱えて、金銭等の喜捨を受ける行為である。修行者は働かず托鉢で糧を得るのである。
喜捨はお布施とも言い、在家の人が修行者に自分の財産を見返りを期待せずに施すことで、仏教徒の良い行いで来世で良い報いがあるとも言われる。
托鉢で生計を立てるのは生半可な気持ちではできない。他人には勧められない。
四国遍路には私のように、托鉢等で生計を立てながら一年中四国を廻っている人がいる。地元ではそのような人を「職業遍路、世立て遍路」と呼ん、生活の場が有りながら一時的に遍路している人と区別している。
私は人付き合いが苦手だ、世間話しも良くできない。しばらく、ごみごみ、ぐずだくの濃厚な社会にくすぶっていて、自分の無力に飽き飽きしてきた。
空や海をゆっくり、あてなく歩きたくなってきた。梅雨の晴れ間、いよいよ歩いて海の向こうに渡ります。
2012年6月20日
by henroseikatu | 2012-06-23 10:14 | 托鉢遍路 | Comments(0)
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