人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「良寛さま托鉢の道」を托鉢する

「良寛さま托鉢の道」を托鉢する_f0222943_106268.jpg

「良寛さま托鉢の道」を托鉢する_f0222943_1062680.jpg

「良寛さま托鉢の道」を托鉢する_f0222943_1062663.jpg

「良寛さま托鉢の道」を托鉢する_f0222943_1062644.jpg

2012年7月2日(月) 歩いて四国へ12日目

昨日は雨のなか、倉敷駅から倉敷美観地区を見て、新倉敷駅までしか移動していない。
そんな体たらくだったのだが、新幹線の駅に行くと、新倉敷から港近くに玉島のエリヤに良寛が托鉢した道があると言う情報を得た。
各駅停車で歩いているので、とても素晴らしい情報が飛び込んできた。

良寛を模倣して私も門付けで托鉢することにした。大阪に帰ってきてから、寺前や駅前など辻立しかしていない、よい機会だ門付けして見よう。
四国では門付けしてきたが、大阪では托鉢の理解がないと思って門付けしてこなかった。家々の玄関にたち、押し売りにも見えるので、不審がられたりするのが私の気持ちとして恐ろしいのだ。(まあ私がそう思っているだけなのだが)

◎玉島、良寛が托鉢した道から円通寺へ
新倉敷から南へ行く、バス停玉島中央町近くの小高い高台に羽黒神社がある。この神社、道から眺めるとたいしたことないとも思えるが、登ると敷地は案外広いし遠見もできる。
神社の下、銀座商店街のアーケードに入らず手前のたこ焼きトイタと喫茶良寛庵の間の道が旧道である。「新町の町並み」として美観地区となっている。
古くは潮止め堤防沿いの道で、江戸時代の家が多く残っている。この道を真っ直ぐ行くと良寛が一時期修行した円通寺に行ける。

その通りの右側を一軒づつ、門付けしていく。
四国で私は各家の呼び鈴を押して、了解を受けてから読経していた。了解を得られなければ読経せず、そのまま次の家に行く、合理的時間短縮の方法でやっている。
今日は、了解を得ずにいきなり玄関の前で読経を始め、誰も出てこなくても喜捨がもらえなくても最後まで読経をして、礼をしてから左隣の家をうかがう方法をとる。

読経しても反応しない家が続き三軒目の新造のモダンな家の玄関で読経をしていると、後ろから玄関の側に回り喜捨してくれる。その女性に聞けば、この通りを天台宗の僧侶が托鉢をしているそうである。その隣の旧家も同じ所帯だということで、そこをパスして進んだ。
町並みの中程に有った建具屋さんでは、ご主人らしき人が、この町や良寛のことを話してくれる。何より際立っ話は、倉敷の美観地区は明治からのまちで、この玉島は江戸時代に賑わった町で江戸年間の建物が多く残っている、と言われたことだ。
橋を渡った角の眼鏡屋で托鉢、ここのご主人は四国88ヶ所の先達さんでして大きな喜捨を戴く。

それから細い登り道になる。足場が組んである工事中の家の玄関で読経していると、工事の音が止んだ。後から分かったが、塀を高圧水洗浄していたのを、私の読経の為に一時中止してくれたのであった。

途中、天台宗の本覚寺があり、さらに登ると、曹洞宗円通寺がある。円通寺は茅葺き屋根の質素な本堂で、周りの庭園も見事、寺の上も公園になっていて遠見できる。

坂を下る途中の雑貨屋で菓子パンを買おうとすると、「あげるよ、賞味期限すぎているから」と言われる。後で調べると6月27日と29日であった。ありがたくいただく、別にコーラを買わさせていただいた。
気持ちよい托鉢が出来た。喜捨に応じてくれたのは店を構えた処が多かった。
二軒は住宅であった。最初に喜捨してくれた処と、もう一軒は玄関の扉を開け放て居間の声が外まで響いていた家である。
本当の住宅街では、呼び鈴を押さない托鉢は成立するのか?(托鉢で糧を得られるか)
この地域に托鉢の僧侶が廻ることがあり托鉢に理解があるのかも知れない。

この玉島には昔ながらの風景が残っていて、映画のロケも行われている。倉敷の美観地区は観光が洗練進んでいるが、玉島はまだ素朴な見所があります。

◎以上2日付け。今は3日ちょうど10時過ぎた処。
雨宿り中
小降りになって来たから出発しょうかと思っていたが、また激しくなってきた。
どうしたもんか?
by henroseikatu | 2012-07-03 10:06 | 托鉢遍路 | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード
<< ぼろ布と共に喜捨を受ける 45km歩行 菩薩に会う >>