2012-13年 高知冬

遍路生活野宿生活
2012-13年 高知冬

◎2013年3月5日 四輪台車に所帯道具をのせて順打ちで遍路している。正月を高知ですごした。今日、愛媛宇和島の市街地に入った。宇和島署近くのインターネットカフェーから、ブログを更新します。

遍路生活野宿生活
2012-13年 高知冬

一年中、四国の遍路道を歩いている。「冬は暖かい高知に居た方が良い」と通年遍路している人々の中で言われている。「高知の中を行きつ戻りつしていた方が良い」との忠告も受けた。愛媛に入ると何時も寒い45番岩屋寺のある久万高原を通らなければならない。でも私は逆戻りには少し抵抗があり、前進するしか考えていない。もっとも寄り道は幾らでも躊躇せずにできる。
高知を歩いていて、高速道路が雪のため通行止めになったり、瀬戸内側の雪の情報を聞くたびに高知の暖かさを、ありがたく思う。地元の人も黒潮のおかげで海岸沿いでは霜も降りないと言っている。
去年も冬の高知を歩いた、計算している分けでもないのだけれど、今年も冬の高知を歩くことになった。四国の東沿岸を南行する遍路道を徳島から2012年12月17日に高知県東洋町甲浦に入った。そして21日室戸岬24番最御崎寺、31日大晦日は安芸で野宿している。
明けて2013年1月5日には30番善楽寺を参拝し高知市街地に入った。しばし市街地に滞在しながらスーパー托鉢してから、次の札所に向かった。そして11日から桂浜となりの種崎千松公園のキャンプ場で一週間ばかりテントを張り滞在した。その後、市内に戻り20日の日曜市で托鉢を試みた。その後、県道37号線で34番種間寺に向かった。
37番岩本寺のある窪川から遍路道を外れ、国道381で内陸に入り打井川の海洋堂ホビー館をめざした、しかしあいにくホビー館は改装で閉館中であった、それで少し離れた場所にある海洋堂かっぱ館だけ見た。かっぱ館だけでも半日過ごし満足であった。そしてその山中から四万十市、旧中村へと遍路道に戻った。
最南端、足摺岬38番金剛福寺を経て、土佐清水で久しぶり銭湯に入った。2月24日宿毛を歩きだし、その日愛媛県愛南町に入った。
12月17日から70間で高知の遍路道を歩いたことになる。ちなみに高知の遍路道距離はへんろみち保存協力会によると384.6kmであるから、一日約5.4kmは歩いたことになる、何日も滞在した町もあるからこんな計算、無意味か?

●携帯電話契約解除
携帯からブログや何人かの知人に遍路生活の発信をしてきた。新居浜のUさんには他の人にも転送もしてもらっていた。Uさんをはじめ、いろいろ私の四国遍路に協力してくれたりしている人々への報告の為、また托鉢している職業遍路の事を具体的に記録し、理解してもらうためとも思って書いてきた。もっとも、そんな理由は些末で自己顕示のために、今まで詩や文章を書いてきたのが本当であると思う。
携帯に打ち込みするのも、時間がかかり、時を逸して送信できなかったり、時間や精神を労することが多い。また携帯の充電場所を探すのも大変で、そんなことに要らぬ苦労してしまう。
そんなことより、遍路しながら肝心な自己の内面を見つめることが出来ていない。先が長いとは言えないので、そこで捨てられる物はどんどん捨てていき、自らを追い込んで行こうと思う。
ブッダは喧騒な地から離れろ、無駄な議論はするな、一人孤独のなかで修行しろと言われる。乞食に携帯など必要ではないのである。

●暖かく冬を過ごす
去年は何度か寒い思いをしたが、今年はそんなことはなかった。去年は上着など着込んで寝袋に入ったりしていた、今年は去年と同じ寝袋だったが、まだ寒いと思ったことがない、今年は上着を着て寝袋に入ったことはない。雪をマトモに見たのは一度だけ、青空の山中を歩いていた時に風に流されてきた雪に会っただけである。
とにかく高知を歩いていて陽射しの暖かさが暑い。重い荷物を押していると風が吹いていても汗が吹き出てくる。寒いより暑さ対策をしなくてはならなかった。風より太陽の力が強い高知であった。

●雨の中でのテント設営
今まで雨の中でテントを張ろうとは思わなかった。冬は東屋や軒下にテントを張るようにしていた。
今回は今まで持参しなかったフライシート(雨よけの外装)を持参し、ペグ(テントを固定するため、地面に打ち込む杭)も購入した。種崎千松公園で二度ほど雨に合ったが、フライシートを付けロープでテントを固定して雨漏りもなかった。但し、地面が砂地で水はけがよかったのが幸いであった、水はけが悪いとテントは床から浸水してくる可能性がある。今回は何度も軒下ではなく露天にテントを張った。冬は乾燥しているので霜が落ちない、テント自体は通気性があるが、テント内でバーナーを使うと、フライシートの内側に結露することがある。また河川敷の露天にテントを張った時、夜明け前にはテントが少し湿気ていたのが、夜が明けてから気温が下がり、ビッシリと薄い氷がテントに張り付いたことがあった、氷が溶けるまで時間がかかった。
地面の水はけさえ良ければ雨のテント設営も余裕を持って出来る様になった。

●門付けあきらめスーパー托鉢をする。
徳島でのスーパー托鉢ではあまり喜捨が望めなかった。高知県に入り喜捨に期待できるようになった。今ではすっかり門付けはあきらめスーパー入口前での托鉢が生活の糧となった。
私は各家の前に立つて読経し、喜捨を乞う門付けは、取りかかるまで始めるまで何時も躊躇ばかりしていた。人が見えれば、もう少し先に行ってから始めよう、この住宅街の雰囲気は托鉢出来そうもない、躊躇し、最後には今日は止めておこうとなる。一軒目の玄関で読経始められればれば、そのさきは続けられるのだけれども。
その点スーパー托鉢は何の躊躇もなく店の前に立って読経することができる。摺れてきたのか居直ってきたのか?、良いことなのか悪いことなのか?分からぬが、それなりの喜捨が期待できることで躊躇などしなくなってしまっているのか?
時として店の社員に注意されて托鉢を止めさせられるが、そこときは「ありがとうございました」と読経とそれまでの托鉢のお礼を言って托鉢を直ぐ終了している。なんら罪悪感は感じない、生活の為である。

●食事のこと
去年は野菜としてキャベツとタマネギを良く買ったが、この冬は白菜がメインの野菜になった。キャベツが高くて買えなかった時、白菜を食パンに挟んで食べたら、食べられた白菜のシャキシャキ感みずみずしさが美味しい。レタスよりも白菜を食パンにはさんでマヨネーズを付けて食べるのがお気に入りだ、白菜を生で食べられることを知った。白菜を生のまま千切りにしてサラダとして食べたり、湯がいて出汁醤油をかけても美味しく食べている。今の常備野菜は白菜、タマネギ、ジャガイモである。ジャガイモは薄く切って温野菜や汁の具として使う、腹持ちが良い。
鍋を買った、今まで山岳用のコッヘルという鍋を使っていたが、小さくて米は一合程しか炊けなかった。袋ラーメンは一度に炊けず野菜と麺と別々に二度に分けて炊いていた。「少欲知足」が心願であるから、荷物になるし大きな鍋は買わないと我慢してきた、手間さえかければ小さい鍋でもラーメンを炊くことはできる。スーパー托鉢で十分な喜捨があったとき14cmの片手鍋が手頃な値段で売っていて知足を忘れ買ってしまった。この鍋を使い、ラーメン、米は二食分の二合炊いている。米を炊く場合ふきこぼれもせずにふっくらと炊けるようになった。
まだ、食べ物がなくて腹をすかせたことがない、ありがたいことである。遍路仲間ではパンの耳の話が話題になるが、私はまだパンの耳に頼らなくっても食べていけている。

●長靴のありがたさ
今はいている靴はよれよれである。運動靴で靴底が片減りするのを瞬間接着剤でゴムを貼り付け補修してきた。それで保たせてきたが、最近は靴底と甲の布をつなぐ糸がほつれ、所々穴が空いてきた。それなので今は補修せずに、靴底の片減りにまかせている。そのうち新しい靴を買うつもりだ。補修するのも接着剤がいる、金がかかる、完全に生を全うして靴として役目を終えるのを見送るつもりだ、これ以上の延命は望まない。
この冬、二、三回長靴をはいただろうか、雨が降ろうとも長靴があるので、穴のあいた靴をはいていても安心である。穴のあいた靴で雨ならまだしも雪に合ったらと思うと恐ろしい。この長靴、去年ブログに長靴が欲しいと書いて某氏からの送金で買ったものである。
その事は後から反省した。結局、私が物を乞う形になっていたからである。四国遍路していて不自由はあたりまえである、それを便利を求めてしまった。欲が年間数えるほどしか使わない物を所有することになってしまった。多くの遍路は長靴など持ち歩いていない。
他の欲と共に無くても良いものを所有し捨てられず、荷物になっている、重さになり、それが私の背中にずっしりと乗っている。他の欲と共に無くても良いものを所有し捨てられず苦を背負い込んでいる。
それからは、用心して苦しいこととか、何かが欲しいとブログに書かない事にした。


楽しみは凍てつく朝の一休み
 汗をふきふき陽を浴びる時

楽しみは朝の挨拶児童から
 大きな声とあふれるばかり笑顔くる時
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by henroseikatu | 2013-03-05 14:24 | Comments(1)
Commented by 佐野アウトレット コーチ at 2013-11-05 11:00 x
coach レザー
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