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東北三十六不動尊霊場 岩手県

東北三十六不動尊霊場 岩手県
2014年8月8日~9月2日

2014年8月8日(金) 19番永福寺
どうもガイドブックの地図では分からず寺まで行くのに苦労した。さいもく委細地図が分かりずらいし、道順が書かれていない。それで以下詳しく国道からの道順を書きます。
国道4号線、盛岡バイパスが坂を下り川を渡る前の交差点「中央公民館」で左に入り道なりに進み、「山岸小学校入り口」で右折、小学校を行き過ぎ左に曲がり踏み切りを越して線路沿いに右折、JR山岸駅の斜め前に永福寺がある。
不動尊の経本を忘れてしまい。覚えている般若心経で勤行した。

8月16日 20番長根寺 本堂で音楽や落語の催しなどもしている。
8月31日はオテライブがある。「精霊と一緒に音楽を楽しみましょう 寺は文化や教養を発信し人々が集う場所です。今年も、長根寺は音楽文化を発信する寺として本堂を開放いたします。当寺檀家様以外の一般の方もご観覧いただけますので、お誘い合わせのうえお越し下さい。」

8月21日 21番福泉寺 雨の日に参った、駐車場から参道を通る。山門の住職作の仁王像は仏師にはない荒削りで顔面が迫ってくる。一方住職作の大観音は整った姿である。山門の先で拝観料300円払う、本堂の扉の間から、暗い内陣の中央の不動明王を見て勤行をする。それから上って行き、大きな大観音の鎮座している大観音堂は、大きなスペースが広がっていた。その観音堂で納経した。
雨が降り続いていた、受付で教えて貰ったとおり回廊を伝わって入り口まで戻った。

8月24日 22番興性寺本堂があけっぴろげだったので、そのまま座敷に上がり不動尊の勤行を上げた。勤行が終わると住職が出てきてお茶とお菓子出され話をした。各地の巡礼を檀家の人と廻っているが、北海道88ヶ所は検討したこともあったが行程が長く予定が組めず断念したとのこと。このお寺では、巡礼者の名簿に名前を書かされた。お話を聞こうという住職に久しぶりに会った、私の後にも地元の人が来ていた、お参りにきた檀家の人々の話の聞き役になっている様子である。

8月28日(木) 番外中尊寺
境内に入ると急な上りが続く、本堂では座敷に上がってのお参りは出来ない、参詣者もほとんどが本堂に寄らず奥の金色堂を目指す。
外国人の団体観光客が多い、中国からのスポーツ関係らしき団体が目立っていた。日本の中学生らしい団体もいた。

8月29日(金) 23番達谷西光寺 殆ど神社である、達谷窟毘沙門堂として知られていてその別當が西光寺である。鳥居をくぐり、すぐ右に上るとあるのが札所である姫待不動堂である。小さな堂であるが、お不動さんは大きな木造の座像である。(拝観料は300円であるが不動尊だけのお参りには拝観料はいらないそうである。)

2014年9月2日(火) 
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高田松原沿いの、敷地かさ上げ工事、手前には慰霊場所がある。山を崩し長大なコンベヤーで土を運ぶ。
24番金剛寺
一関から陸前高田へ向かう、気仙川沿いを国道340号線を下って行くと、津波被害者の住宅のかさ上げ造成のため、山を崩し空中を走るベルトコンベアーで土を運んでいる。
古い地図では金剛寺へは上の橋を渡る方が近いが、その橋は無い。突き当たりを右に曲がり仮橋の気仙大橋を渡り、左に曲がる。工事現場の中である、歩道の整備は成されていない、泥がたまっている所、側溝のふたが無くなっている所がある、そこをダンプが引っきりなしに通る。
左手の山は切り崩されている。しばらく行くと山に幟が並んで金剛寺らしい、周囲は空き地で、何軒か被災したコンクリートの骨組みだけが残っていた。不動堂は高台にあったのでそのままであるが、本堂のあった辺りには、造成工事のために盛土が成されていた。
不動堂へ上がる、一段高い地点に光輪館という休憩所があるが、その建物の裏に「津波到達地点 平成二十三年三月十一日」の標識があった。
扉を開け不動堂の中で読経をする、寺の人に話を聞けるのを期待してきたが、寺の人も避難生活で無住であった。堂の中の朱印を自分で押して納経とした。

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南三陸さんさん商店街の掲示、本物のモアイもある。
by henroseikatu | 2014-09-15 08:39 | 東北36不動尊霊場 | Comments(0)
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