カテゴリ:西国徒歩巡礼( 19 )

西国徒歩巡礼 区切うち

2003年から09年にかけて7回に分けて西国三十三ヶ寺を巡拝した。 


 初回は一番青岸渡寺から順打ちで廻り始め、二番紀三井寺まで歩いた。そこまでで一回目は終わりで大阪の自宅まで帰った。
 2003年に歩き始めたが、その後はなかなか行けなくなり、2008年5月からは一月おきに巡拝をしだし、2009年5月に33番華厳寺まで歩き結願した。

 とぎれ途切れの記録だけれども、見て下さい。
 一回目は一番下です。↓
http://henroseika.exblog.jp/13034544/
西国巡拝1回目

ここから入って「前のページ」をクリックすれば順番に見れます。

西国三十三ヶ所徒歩巡拝
 2003年4月29日から2009年5月5日 7回の区切り打ち

1回目 03年4月9日~5月7日 1青岸渡寺~2紀三井寺
2回目 05年3月20日~21日 3粉河寺~4施福寺
3回目 08年5月      5葛井寺~9興福寺
4回目 08年7月23日~19日 10三室寺~19行願寺
5回目 08年9月21日~25日 20善峯寺~番外花山院
十二柱神社 狛犬
西国巡礼であった飛び出し君
6回目 08年10月14日~27日 25播州清水寺~30竹生島宝厳寺
7回目 09年5月1日~5日 31長命寺~33華厳寺
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by henroseikatu | 2010-03-07 23:14 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち7回目-2

■西国徒歩巡礼 区切うち7回目-2■
7回目 2009年5月1日~5日
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西国三十三ヵ所徒歩巡礼七回目
2009年5月5日


昨晩は、食事したスーパーの側の河川敷の公園の橋桁の下にテントを張った。疲れていて、足のテーピングテープもはがさず、横になったら直ぐに寝入った。

今朝、地図を見ると、どうも今日中に最後の寺に着けそうなので、どんどん先に歩く。
地図を見て確認しながら歩く。今回の行程は、ほとんど宅地のある場所を通った。店屋がない。今日、気がついたのは缶コーヒの自動販売機が見当たらなかった。

西国三十三ヵ所の最後のお寺、谷汲山華厳寺 たにぐみさんけごんじに着く。さすが33番、人手が違う、31番32番は境内で数えられる程の人数しか出合わなかった。
結願の寺と宣伝しているが、それだけではないはずだ。観光地として来ている人も多いだろう。
通りから山門まで長い、かなり急な坂だ。だが店やが連なりあきなくて、坂のことは忘れていた。。お土産屋や、食べ物屋だけではない。菊花石などの珍しい石か゛売っていたり、仏像を売っている。なにやらフリーマーケット適な店もある。


本堂に上がる。椅子に座って、ペットボトルのお茶を飲む。汗がひき、落ち着いてから、身支度を整える。
白衣をはおり輪袈裟(わげさ)をする。線香や経本等入れた頭陀袋を肩にかける。

奥くには本尊の前に畳の間があり、私もそこで読経したかったけど、お布施あげて坊さんに読経してもらっているようなのでね遠慮した。
一般の人は賽銭箱の前からお参りする。
持参したろうそくと線香を供える。このお寺では、ろうそくの世話係が終始ついていて、燃えかすの始末をしていた。
ひっきりなしに人が来るので正面に立ち続けることもできない。そこで賽銭箱から斜に離れた場所から本尊に向かって観音経をあげる。私が経をあげている間、とくに人が多く来て、立ち止まっている私は迷惑な存在に成っていた。

満願の時の感動を想像していたけれど、覚めきっていた。
参道を歩いている時から、宗教的雰囲気は削がれた。観光地という感じである。
汗をかきながら急な坂を登りきり、やっと目指すお寺に着く。すがすがしく誇らしくなる。そんな事はなかった結願のお寺でした。

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「おいずる堂」には満願した人々のおいずるや金剛杖が奉納されているが、納経帳まで奉納されていた。
ゆっくりと参道をくだり「満願の湯」にのんびりと入った。
そうしていたら、すでにバスの便がなくなっており、旧谷汲駅の構内で寝ることになった。
2001年に廃線になった名鉄谷汲線の車両を、この駅で静態保存しているのだ。
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by henroseikatu | 2010-03-07 22:52 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち7回目-1

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■西国徒歩巡礼 区切うち7回目-1■
7回目 2008年10月14日~27日
span style="line-height: 1.2;">2009年5月1日
電車で近江八幡まで行きバスで長命寺前まで行きました。
売店の前を進むと直ぐに参道の階段がある。しばらく登りるとT字路になっており、右手からの道にNPO西国古道の小さな道標があり、右に曲がるように矢印があった。私はそこで右に曲がったが、その道は麓へ行く道であった。つまり、下山の道を示したようだ。小さい道標で巡礼してきた人にしか分からないだろうが間違いやすい道標である。
この石畳の808段あると言う階段はこゴツゴツと段差があり、土が流され石が浮いているところがあり歩きずらかった。

尾根沿いの狭い境内は大きな岩石が露出し、琵琶湖の眺めもよかった。私が一番感動したのが、ひわだぶきの屋根の連なりだった。

31番長命寺を参拝してから、巡礼の道をそれ近江八幡の市街に入った。
お気に入りの<ボーダレス・アートミュージアムNO-MA>の展示を見た。
携帯電話の充電切れる
2009年5月2日

昨晩は次の32番観音正寺のある、きぬがさ山の取っ掛かりにある桑実寺の山門前でテントを張った。安土駅から住宅街で適当なテント張る場所がなく、ここまで来てしまった。

ほんらい桑実寺の境内を通るのが西国の道だが、この寺は入山料を払いなさいと書き、夜間は山門のひさしの下に入るだけでブザーが鳴る。今は朝5時、山門を入ればブザーが鳴り響く。
仕方なく麓の「木の道しるべ」まで戻り「観音正寺方面林道」を進む。

・・・・・・・・・・・・・・・・


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http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=%2b35.08.27.34&lon=%2b136.09.46.18&fm=
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なめ憲2号の道端から見える平和物件No.003



                 平和祈願釈迦如来像

江戸時代からあったが、戦争の時の金属供出で潰された。
そこで1983年に平和を願って造られた像だそうです。
・・・とガイドブックに書いてあったが、現地では何の説明書もなかった。再建の思いは何だったんだろうか?


前大戦の時に 御国のために戦ってこい、死ねば極楽に行ける と言っていたのが仏教界だ。

願ったり祈祷しただけでは平和はやって来ないのはもちろんで。

ハッキリ 不殺生 兵が無用 戦争反対 と思うだけではなく、声を荒げ 行動していかなければならぬ。



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2009年5月3日

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三日目
関ヶ原に入った。できたら今晩これから歩き古戦場で野宿したい。
昨晩は旧道を外れ国道に行き食事し、思いがけずインターネット喫茶があった。免許証があるので会員登録して入った。で充電して、切れる不安は無くなったのでした。

今日は彦根から米原を旧中山道なかせんどう沿って、宿場町を見て歩きました。

すっかり暗くなりました。もう少し歩かないければ、・・・

2009年5月4日

四日目
昨晩は暗いなか歩き続けて関ヶ原の戦場までたどり着いた。東首塚の小さな堂の縁側に寝袋で寝た。
戦場を見てまわり、歴史民俗博物館て時をすごした。

また中山道をたどる。旧道と言っても住宅街だ。旧道が途切れ国道を歩き、また旧道に入ったりする。
関ヶ原町から垂井町そして大垣市にいたる。
赤坂宿で中山道から分かれ北の方向に進む。ほどなく大垣市から池田町に入るる。
スーパーで半額の弁当を買って夕食にした。午後9時18分、これから国道沿うって歩き適当な場所があればテントを張るつもりだ。
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by henroseikatu | 2010-03-07 22:26 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち6回目-5

■西国徒歩巡礼 区切うち6回目-5■
6回目 2008年10月14日~27日
西国三十三ヶ所徒歩巡礼六回目⑤

●10日目(10月23日)
予報どうり朝から雨、チェックアウトの10時少し前にホテルを出る。傘はなくて駆け足で近くのスーパー等の入るビルに行く。そのスーパーの海の見えるデッキで「働き人のいいぶん」の原稿を書いた。(後で速達で送った)昼飯を食べて、傘を買った。歩きだすと雨は小降りとなり、やがて雨はあがった。
歩行距離約18km 舞鶴市八田 由良川大川橋 桁下泊

●11日目(10月24日)
長寿観音、安産観音

四所駅で「天橋立を世界遺産に!!」の電車を見る。

イカのおすし
  しらないひとにこえをかけられたら
いかない
 のらない
おおごえをあげる
 すぐににげる
しらせる
  余内子育て支援協議会

松尾寺から次の道に行くのに大変迷いながら、結局地図のとうり進んでいたけれど不安をかかえながら歩いた。
歩行距離約25km 29番松尾寺参拝 高浜町三松 車庫泊

●12日目(10月25日)
JR若狭和田駅ピースフル和田 赤い瓦
平成16年度電源立地地域対策交付金施設

若狭西街道小浜へ四里半 東舞鶴へ五里 線路を挟んで山側をあるく。

ELGAIA OHI エルガイアおおい
新感覚の映像体験を可能にした世界最大級のバーチャルシアター

「心やすらぐ美食の郷 御食国(みけつくに)若狭おばま」という看板、道路添いにあり。
歩行距離約36km 上中町市場 野球場泊

●13日目(10月26日)
松木長操生誕地
松木長操(庄左衛門)は寛永二年(1625年)正月二十五日松木家三代目として当新道区に誕生。
江戸時代の初め、領主京極氏が小浜城の移築に際しその経費捻出に大豆年貢の苞制を加増、誅求した。
若狭農民ひとしく塗炭の苦しみにあいこの窮状を救うため若冠十六歳にして嘆願九年、更に投獄数年ついに磔刑によつて三十八歳の生涯を閉じた。
この義挙によって悲願の年貢は、旧制に復され以来若狭の農民はもとよりこのことを知る人々は長操を義民とたたえ神と仰いで今日に至っている。
(生家はここから約300米の山麓にあります 。)[鯖街道、熊川宿にあった石碑]

歩行距離約22km 滋賀県今津町 近江今津駅 そばホテルカイト泊

●14日目(10月27日)
朝一番の船で竹生島に行き、宝厳寺参拝
その後、また今津に引き返し、そこから電車で大阪に帰った。

歩行距離何百メートルか、航行は距離に含めないということで本日は歩行距離なし 30番宝厳寺参拝
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by henroseikatu | 2010-03-07 22:22 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち6回目-4

■西国徒歩巡礼 区切うち6回目-4■
6回目 2008年10月14日~27日
ブログへの記載が中断したままになっていました。区切り打ち最後、満願の巡礼にいくことに成って、思い出しながら前回の巡礼の報告をいたします。
西国三十三ヶ所徒歩巡礼の区切り打ち六回目は去年(08年)の10月14日に福地山線相野駅より歩きはじめ、西国25番から打ちました。そして10月27日に琵琶湖に浮かぶ30番まで打ち電車で大阪に帰ったのでした。

西国三十三ヶ所徒歩巡礼六回目④

●8日目(10月21日)
朝早く、神社に参拝する人がいるかもしれず。暗いうちから起きだした。道先に登尾トンネルが現われた。地図ではトンネルなどないのだが、その疑問を深く考えずにトンネルを抜けた。
峠を越してから、地図では国道を横切り、山に登っていくことになっている。ところがその登り口が分からない。「西国を廻っているのですが」と地元の人に相談すると。Aの方向に行けば良いといわれその方向に進んだが地図と見比べ、納得がいかず。国道沿いに行こうと反対方向に進んだ。そうするとさっきあった地元の人に自宅前であった。そこでまた話していて、古道の地図ではなく、別の道路地図を見ると、私の通った登尾トンネルが記載されてあり。私が道を間違ったことがはっきりした。古道の地図をじっくり見れば現在居る場所が目的の場所と別の場所であることがわかった。やっと納得して言われた通りAの方向に歩いていった。

兵庫県から京都府福知山市に入る。自動車の通らない野原や小さな坂を越える。
雲原というところで喫茶店にはいる。本日の定食カキフライとあったが、なんかカキは食べたくなかったので。じっくりメニューを見てビーフカレーを頼んだ。時間かかって出てきたカレーの味はよく知っているレトルトパックの味がした。
国道176線を北上すると、やがて本来の巡礼 の道にもどった。国道のトンネルの上を歩いて与謝峠を越す。下っていくとお助け水があり、このあたり見事なすすきの原が続いた。やがて国道に出会うと天橋立方面の道路標識があった。国道が尾根から尾根へ高い橋脚で結ばれ、大きく左右、左カーブを続けている。それの下を貫くように歩いていく。

地蔵さんの隣で荷物を下ろして休んでいると、軽トラックに乗ったおっちゃんに声をかけられた。
私も西国を少し回っている。仕事があるからなかなか廻れないけど。和歌山の方は全然廻ってないな。春とか秋には徒歩で廻っている人も見かけるよ。などと話をしてくれた。
暗くなった。でも店屋がない、加悦町あたりでスーパーを見つけ弁当を買って近くの農協の入り口に座って食べた。それからあてもなく暗い道を行く、野田川町あたりは古い街並みがのこっている。
そろそろ寝たくなったが、周囲は住宅地野営する場所はない。それで道をそれ十字路を右に入った。するとそこには家がなく野原のような闇があった。その闇の中にほのかな光が見えた。そこは公衆便所であった。
そこは自転車道ステーションと呼び、自転車道の休憩所である。トイレの壁とベンチの間、上には屋根があるところにテントを張った。障害者トイレで顔を洗い、体を洗った。
歩行距離約20km 野田川町下山田自転車スティーション泊

●9日目(10月22日)
暗い間に起き上がった。テントを片付け即席ラーメンを食べた。夜明け前に自転車道を歩いている人が何人も通る。
巡礼の道に戻らず、このまま自転車道を進むことにする。畑の中を行く、夜が明けきると、靄がかかり一時は一面乳白色になる。
北近畿タンゴ鉄道の野田川駅の近くになると思うが(自転車道から駅も見えた。)蓮池がありアヒルなどがガアガア鳴いていた。蓮の写真や蓮で作った作品があり無人販売もしていた。

やがて野田川沿いに進み河口の橋を渡り、岩滝町の市街を経て、巡礼の道に戻る。
この野田川沿いの加悦岩滝自転車道線は畑の中を行ったり、河の土手を歩き、町中を歩く巡礼のよりゆっくり歩けます。
左折していよいよ成相寺の登りにかかる。そこに広場があり、ちょうどその日はその広場を多くの人々が草刈りをしていた。その広場は丹後国分寺跡とのこと。前には博物館がある。畑のなかに石碑が立っていた。15年戦争の時に船舶往来のために天橋立を切断するのに反対した町長を顕彰してた「天橋立の久の碑」がある。
暇そうな、訪れる人も少ない京都府丹後郷土資料館という博物館に入る。入り口で掃除をしていた女性が窓口に入り入場券を売り、そのまま館内の説明をしてくれる。私がしょっている荷物を館内に置かせてもらった。展示の細目は忘れているが、そこでもらった古い企画展のパンフレットが残っている。今回の巡礼で27番圓教寺でみた木造の狛犬に、石造しか見ていなかったのでビックリした。しかしこのパンフレットには丹後の木造狛犬が多く掲載してあった。
舗装道を登って行く、めずらしくカンナが道脇に植えられている。途中、お大師さんや地蔵清水があり、お土産なども売っている場所があった。

成相寺の境内に入る。自動車で来た人のチエック所があり、私も進んで自己申告して入山参拝料(500円)を払った。
かって湯槽だったという鋳物の手水鉢は龍の姿の注ぎ口で外周に苔がはえている。
本堂のそばに駐車場があり、山道を長いこと上ることはない。階段を使わなくてもスロープを使えば本堂の前まで来ることができる。ところがそこから本堂に上がるのには階段しかない。そこでこのお寺には地面から本堂の床まで上がれるエレベーターが設置されていた。

下山はバス専用道路を通ってケーブルの駅がある笠松公園まで行く。展望所で天橋立を展望する。そこより少し低い所に別の展望所がある。ケーブルの上りの終点らしい、ガイドさんが団体に説明をしている。下の展望所の賑わいに比べ、こちらは最初は私一人だけだった。その内、何人かこちらまで上がってきた。
展望所にはお金を入れて見る望遠鏡があり、股のぞきのために乗る足場ある。私も頭を股間につけて天に昇る橋立を見た。
そしてその場所に一軒のお土産屋さんがあった。まだ昼飯を食べていなかったので、そこのソフトクリーム(300円か350円)を買って、暇そうに一人いる男の店員と世話話をした。そこで今晩ビジネスホテルに泊まりたい、と話すと、その店員が電話帳で調べてくれて適当なビジネスホテルの電話番号をメモしてくれた。
笠松公園から徒歩で下山しながら携帯で電話をしてホテルの予約をとった。

下山したふもとに篭神社がある。神社の参道の重文狛犬は毛布などまかれ周囲を鉄パイプで囲まれ人目から逃れていた。
重文狛犬(阿吽一対)伝 鎌倉時代作
伝承によると、作者の一心で魂の入った狛犬が、天正年中不意に天橋立の松林に出現して、元伊勢詣りの参拝者や通行人を驚かした。偶々親の仇討ちにひそんでいた岩見重太郎が之れを聞いて鎮霊を決意し、一夜待ち構えて音の方向に剛刀を一閃したところ、石の狛犬の前脚が切れて出現が止んだと云う。以来社前に 座して専制ら魔除の霊験が聞こえたと伝えられる。
他所と違い、胴と脚がどっしりして、日本化された狛犬の最大傑作と云われる。

橋立の松はその姿を模して名前をつけたり、人の名をつけた名板が設置されている。ちなみに「晶子の松」には橋立を読んだ与謝野晶子にちなみ命名された松と書かれてあった。
磯清水両側海に囲まれながら塩からくない清水が湧き出ることから名泉百選にも選ばれている。私も少し口に含んだがその後きずくと「飲まないで下さい」との看板があった。

歩行距離約20km 28番成相寺参拝 宮津市新浜 ホテル丹後泊
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by henroseikatu | 2010-03-07 22:19 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち6回目-3

■西国徒歩巡礼 区切うち6回目-3■
6回目 2008年10月14日~27日
西国三十三ヶ所
徒歩巡礼六回目③
c0099020_8193553.jpg                      市川町


●4日目(10月17日)
テントたたんで坂を上る。直ぐに尾根にとりつくが、その先は樹木が生い茂り、道がなくなっている。ここまでの道は幅が広いと思ったが、伐採するために道を作っていたのだ。この一面の斜面は全ての樹木が伐採され搬出されている。落とされた枝葉だけが残されていた。
来た道を戻り野営地をさらに下る。この明るい斜面を降りると。向かいに森が広がり、左側から登ってきた道があった。その地点を見回すと森のなかに西国古道の道標があった。木の間にある幅20cmもない道標だから夜間に見つけるのは難しい。しかもその森の入り口には人の背丈程の枯れ草が林立ている。今、遠目に見れば森の間に山道が通っているのが分かるのだが、夜間にはこの方向に道があるのはとうてい分からない。やっぱり夜間の山道は迷いやすい。

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その森を越し夢前町から福崎町になる。山道を下り終わると、ため池があらわれる。ため池にはほとんど水が貯まっていない、また春に向けて貯めるのだろうか。
「ため池は農業用の貴重な水源です。農家の人々は苦労してため池を守っています。◎ゴミは持ち帰りましょう。◎ルアー、釣り糸など捨てないようにしましょう草刈り機にまきつき危険です。」こんな看板の他、不法投棄禁止の看板がいくつも出ていた。

昨晩からの山越えは、西から東へ移動した。これからは北に向けて進むことになる。JR播但線、国道312号そして高速道路の播但連 絡道路と隣接しながら北上する。
播但線鶴居駅近くの市川の水辺で即席ラーメンを作り昼食とする。

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by henroseikatu | 2010-03-07 22:12 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち6回目-2

■西国徒歩巡礼 区切うち6回目-2■
6回目 2008年10月14日~27日
西国三十三ヶ所
徒歩巡礼六回目②


●3日目(10月16日)
昨晩は街灯で明るい露天の駐車場にテントを張って寝た。朝露でテントが濡れた。暗いなか歩き始めた。
[間違いやすい道]自衛隊姫路駐屯地と弁天池の間を西行しているところで、街路樹のある駐屯地北側の道を真っすぐ進と間違いである。交差点から100m程大通りを西行すると右側に鋭角に細い道がある。その弁天池の堤の下を通る道を進む。(地図P95、地図は29番 松尾寺発行の「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」のこと)

c0099020_2123186.jpg書写山を拝む夢前川の手前のコンビニで、焚きたてのご飯を入れてくれる弁当を買う。大盛りにしますかと聞くので、思わず大盛りにした。ちょっと食べ過ぎた。
c0099020_213460.jpg車道から灯篭の所で露地に入り、まもなく東坂山道になる。地元の人により詳しい道案内表示がしてある。急坂で岩石が露出している。雨が降れば靴が滑る気がするが、今日は晴れ上がって気持ちが良い。c0099020_2141350.jpg
ロープウェーの山上駅から直ぐに圓教寺の境内に入る志納所があり、300円払う。そこから塔頭(たっちゅ う、坊さんが住んだりする小さな建物、庵など)のある場所までは長い登り坂になっている。地道だが転圧されているようで多くの人が通るのを想定して整備されている。麓から志納所の距離より長いようだ。ロープウェーを使った人も相当歩くことになる。
志納所の所にマイクロバスがあり、摩尼殿(本堂)近くまで行くというので、最初はロープウェーで金使わせ、ここからバス代使わすのか?商売しているなぁと思った。しかしこの長い坂道、お年寄りはバスなしでは参拝はできないだろうと思った。
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山の中に塔頭、伽藍(お寺の主要な建物のこと)が配置され、山道で行き来する。本堂である摩尼殿は京都清水寺のように崖からせり出した舞台造りである。梁や柱、硬く残っている木目が歴史を感じさせられる。
また別のところに三之堂と呼ばれ大きな広場を囲む室町時代の3つの建物がある。c0099020_2151364.jpgc0099020_2154014.jpgその一つの食堂に宝物を展示してあった。500円な ら入らないと思っていたら、200円だったの で入った。珍しくおもったのは寄木造りの狛犬。注目したのは、明治の廃仏毀釈のときに隠され守られた仏像たちだ。どれも風化にまかされたのか像の形はかすかにしか見えない。木目の硬いところだけ残されている。受け付けをしていた男の人が世話をやき話をしてくれた。「開山堂の三角を守っているのは鬼ではなく力士で褌をしめている」と言って褌が見えるポイントを教えてくれた。c0099020_2161264.jpg
[下山の道]摩尼殿下のはづき茶屋(ここでアイスを買ったら百円ぽっきりで売ってくれた定価販売か、有難い貴重である。)と放生池の前を通りバス道の方にいく、バス道と反対方向に山道が二つある。(ここに道標あり)二つの山道の右側を行くと下山の置塩坂である。

下山して畑の畔道でテントを干し、しばらく休憩した。ハイキングの格好した男の人たちが来て「この道はあの山の麓にいけますか」ときくので地元の者ではないので分かりませんと答えた。c0099020_21714100.jpgその人たちはそのまま畑の方に進んでいった。しばらくして、その仲間らしい女性も交じる一団が来て、こっちからいけるのかしらなどというから、私は地図を良く見つめると、畔道は川にそって迂回する道になっていて、車道を通る方が距離的には近いので。私はそのことを教えた。
そこから少し歩くと大型のスーパーがあった。この先しばらく大きな町がないのでここで買い出しすることにした。今晩食べる弁当と袋ラーメンを買った。
すでに暗くなっている夢前町古知之庄(地図P97)から川を渡ると高台になっている。こ の地点で地図では車道沿いに行くことになっているが、この切り通しは短い距離だが夜間車の通行が多く歩くのは危険で、車道の西側の筋の住宅地の中を通る道を行って欲しい。
出来るだけ先に行こうと暗い中を歩く。本道をはずれ山越えの道に入る。やがて工場があらわれた。だが看板を見ていると牛を飼っているらしい。感染の予防のために外と完全に隔離しているようだ。

やがて古道の表示が現われる。そこから山道が始まっている。私は地図見て林道みたいに舗装された道があるものだとばかり思っていた。その林道で峠を夜通しで越えようと思っていた。始めから登山道を夜間に登るつもりはなかった。夜間の登山道は脇道やけもの道に入る可能性がある。それでも戻っても寝る場所はなく、しかたなく前進した。
LEDライトを手で押しなながら発電し光を照らす。左は山が迫り林になっていて、右は少し低くなり草が生えている。その草の中でゴソゴソと何かが音をだしている。前方道をを横切る。猪だろうか。山側に動くものがありライトで照らすと鹿のお尻が闇に消えていく。
別れ道でどちらか迷った。ライトを照らし周囲を見回すと林の中に「西国古道」の道標があり、そのまま林にそって真直ぐ進んだ。
やがて道は右側へ上っていく、その先は樹木が伐採されていた。道は太くなっていて伐採され残された枝が固められていた。
しばらく登ると広くカーブして入る場所があった。前の森、後の尾根が見える。登ってきた道が見える。目の前には残された枝が積まれているのがハッキリと見える。満月が尾根の上に昇っている。高圧送電線の鉄塔がそびえている。まるでハリウッド映画の夜の表現みたいに。昼間と同じように風景が広がる。鹿の鳴声が響いていく。
すっかり落ち着いて、夜通し歩くつもりでもあったけれど、この先寝れる場所があるかも知れず。ここにテントを張って寝ることにした。その晩、テントの中から月を見ながら寝た。c0099020_21271930.jpg

27番圓教寺参拝 歩行距離約22km

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by henroseikatu | 2010-03-07 22:06 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち6回目-1

■西国徒歩巡礼 区切うち6回目-1■
6回目 2008年10月14日~27日
西国三十三ヶ所
徒歩巡礼六回目①

 2008年10月14日から10月27日
 25番播州清水寺から30番琵琶湖竹生島宝厳寺まで


西国三十三ヶ所観音霊場を徒歩で巡礼している。西国三十三ヶ所は近畿一円約1000kmの霊場を巡っている。ある区間歩いては一度電車で自宅に帰り、また次の機会に電車で戻り歩き続ける、区切り打ちという方法で巡礼している。(*打ち=寺院を参拝すること)
2004年から一番からお参りを始めた。和歌山紀伊勝浦、那智の滝の青岸渡寺から二番和歌山市、紀三井寺まで歩いた。05年に三番、四番を参拝した。それ以来巡礼に行っていなかった。
今年08年6月から区切り打ちで、月に一回巡礼を続けている。先月は20番から24番まで、さらに番外の花山院まで参拝した。そして福知山線の相野駅(兵庫県三田市)から帰宅した。

●1日目(10月14日)c0099020_19131639.jpg
荷作りにてまどって出発が一日のびると、久しぶりの雨。6時40分頃、新今宮駅を出発。大阪駅から福地山線へ快速に乗らず普通に乗ったまま、方向が逆でラッシュの電車でなくて良かった。相野駅で降りる。学生が多く改札から出るのに時間がかかった。
カッパのズボンだけはいて傘をさして歩きだす。前回の巡礼では一日目に大雨にあって、おおじょうしたが、今回の雨は傘で防げる雨であった。しばらく歩くと小降りなり、暑くなったのでカッパのズボンは脱いで傘だけさした。車道から一本奥の車があまり通らない道を行く。道沿いに住宅もあるが、その奥は畑になっている。地蔵さんや花の写真を撮った。せいたかあわだち草の群れが黄色く勢いがあった。c0099020_19175076.jpg
やがて舞鶴自動車道の下をくぐると、直ぐに「ようこそ丹波立杭焼の里今田町へ」という道を跨ぐアーチがある。その先の分岐を左側に行く。

25番清水寺の山道に入る。舗装された道路は山門前まで続く。ここから地道の登山道がある。入山料を取るという看板があったが。「ここに自動車を駐車して、歩いて登る人からは入山料は取りません」と書いてあった。いい事だ、一律に徒歩の人からも取る寺が多い。
ほとんど雨は上がったが、c0099020_19181053.jpg雲はたちこめたままだ。登山道は石があって私の靴は良くすべった。境内に入ると石畳の階段などに落葉が美しく写真をいっぱい撮った。接写でとったが後で確認するとピンボケが多かった。

清水寺の大講堂には靴を脱いであがる。内陣へ入るのには百円程のお布施が必要と書いてあった。百円ポッキリ入れ内陣に入った。畳み張りの内陣へ入る。本尊は明るい照明(文化財保護のため通常明るい照明を当てることはない、しかし輝く像には手を合わせたくなる、御利益ありそうだ)で黄金色に輝く1、2m程の座位の千手観世音菩薩であった。ここで座って観音経を唱えた。c0099020_19185866.jpg
大講堂内にある納経所(墨書朱印をもらったりする所。納経とは書経をお寺に納め供養してもらう事、それが転じお寺の墨書朱印をもらう事。)には頭を反りあげたお坊さんだけがいた。通常は坊さんではない長髪のおっちゃんが多い。
清水寺と称されるのは寺を開山した法道仙人が祈って霊泉が涌出したことからだそうで、そのこん浄水と呼ばれる湧水が今も湧いていた。c0099020_19193893.jpg
歩きの登山道からは山門を通らないので、山門を見にいく。駐車場に隣接して朱に鮮やかな山門であった。山門の近くにある清水茶屋は閉店していたが自販機のコーヒーは120円 で売っていて感激した。150円位するところ もある。山上ということでプレミアムを付けているところが多い。
下山の道は土が土が軟らかく石が多く混じり私の靴は滑り気味で恐かった。草が生え放題で倒木があるところが一ヶ所あった。道が雨水の水路になっている所もあった。浮き石もあり駈け下りるには危険だ。夕暮には道を間違える可能性もある。c0099020_192048.jpg
その山道を下りきる。舗装された村の道にでる。「こっちに下りて来たんですね」といきなり犬を連れた女性に声をかけられた。「えっどこかでお会いしましたか」「山門の所で車に乗りませんかと声をかけようとしたのですが、歩いて巡礼しているなら・・躊躇していました。」そういえば山門で写真を撮っているときに軽のワンボックスカーが私を見ていた。山を下りたとたんあうとはとても奇遇であった。カメラのシャッターを押してもらった。
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雨は上がり雲がとれてきた。村の道から国道沿いを歩く。加東市社(ヤシロ)町で国道から脇 道を歩く、すっかり暗くなっている。今回は歩きながらとても余裕がある。c0099020_19211645.jpgテント持参で寝る場所のことを考えることが少ないし、コンロ持参で食物の心配も少ない。国道にあったコンビニで弁当を買って夕食とした。それからすこし歩き。国道沿いの閉店した自動車屋にテントを張った。だだっ広い駐車場と平屋の家はガラス張りで備品など何も無く空き家だ。寝る前に向かいの24時間営業のマクドナルドの百円マックを食べながら今日の日記を書いた。
25番播州清水寺参拝 歩行距離およそ21km

●2日目(10月15日)
c0099020_20155224.jpgテントをたたみ4時頃出発、国道372号を歩 く街灯のない所が多い片道一車線の上下二車線だがほとんど車は通らない、バイパスがあるのだろうか。夜が明けてくるとモヤが立ちこめる。
第三セクターの北条鉄道の駅、法華口駅による。単線で架線がない小さい駅舎の待合室の中に自転車が停められている。各駅にボランティアの駅長がいて催しをやっている。この駅では付近に太平洋戦争時代に、飛行場があって特攻機の訓練をしていたそうで、その歴史を掘り起こす新聞記事を掲示していた。

c0099020_20164412.jpgc0099020_20172136.jpg26番一乗寺に着く。入り口で拝観料を払う。いきなり長い上り階段が続くが、私は東屋で休憩し身仕度をととのえた。輪袈裟を首にかけ、数珠や経本を入れるさんや袋をザックから出した。
c0099020_20174734.jpg金堂(本堂)の天井には古い木製の納め札がびっしりと打ち付けられていた。(現在の納め札は紙製です。)また金堂内の壁に墨で字が書かれてあった。落書だろうか?納経所で聞いたが「当時は普通の人は文字が書けなかった・・・」というだけで要領を得なかった。
c0099020_20185039.jpg奥の院開山堂の脇を上ると、沢沿いに無数に石が重ねられ、その上方の岩盤の下に地蔵さんが並べられていた。

加古川市から姫路市に入り、しばらく山陽自動車道沿いに進む、天川沿いの自転車道を歩いていく。その自転車道沿いに苔の清水という湧水があり、そこでペットボトルに水を入れた。またそばの高台に苔の地蔵さんがある。この地蔵さんは乳が出ないとか、多過ぎて困る婦人に霊験があり、かっては参詣者が絶えなかったそうだ。また欠けた地蔵さんは武士がけさがけに切り付けたそうで、その逸話が残されている。c0099020_20192246.jpg

市川を渡りJR播但線を横断し姫路の市街地に入る。インターネット喫茶を探し当てたが、そこは会員制で私は身分証明がなくて入れなかった。吉野屋で牛丼を食べた。それからインターネット喫茶を探しながら姫路駅付近まで歩いた。結局フリーで入れる所がなくてインターネット喫茶で「働き人のいい分」に原稿を送るのをあきらめた。駅前の街路樹のある大通りの歩道に寝ようとする女性の野宿者がいた。それから姫路駅から電車で播但線野里まで戻り、巡礼の道に戻ることにした。この電車は二両編成のワンマンで先頭の前の扉からしか下りられないと放送があった。のだが、今日は連絡している電車が遅れていて混雑が見込まれるので、全ての扉を開けるので切符は駅備え付けの箱に投函してくれとのことでした。満員の車内で最前部まで行かなくても良くて良かった。
駅で下り、地図を便りに街中を歩く、住宅地の中に空き地を見つた。姫路競馬場の臨時駐車場だ。その奥まった木陰にテントを張って寝た。
26番一乗寺参拝 歩行距離やく38km

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by henroseikatu | 2010-03-07 22:03 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち6回目

■西国徒歩巡礼 区切うち6回目■
6回目 2008年10月14日~27日
西国三十三ヶ所徒歩巡礼 区切り打ち 六回目
10月14日から10月27日まで14日間
25番札所播州清水寺から 琵琶湖の竹生島30番宝厳寺まで参拝しました。
歩行距離およそ330キロメートル

委細 これから書き込みます。c0099020_23471454.jpg














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by henroseikatu | 2010-03-07 21:55 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)

西国徒歩巡礼 区切うち5回目

■西国徒歩巡礼 区切うち5回目■
5回目 2008年9月21日~25日
西国三十三ヶ所徒歩巡礼
区切り打ち 五回目(20番から番外花山院)c0099020_913620.jpg


●9月21日 月曜日から台風が去るのを待っていたら、のろまな台風がやっと関西を通過したのが土曜日であった。さっそく日曜の朝、出発した。前回終えた阪急京都線東向日駅から歩きだす。市街地から出る前に道を間違えた、感で方向を決めて、また道が分からなくなった。とても時間をつぶした。後から考えると「大きな道を横断する」とだけ地図を見て思い込んでいて直進してしまった。現実には歩いていた道が鋭角に道と交差し左に曲がったことになった。
迷っているうちにポチポチと降っていた雨が激しくなり、そのうちバケツをひっくり返す様な勢いの雨になる。農家の納屋で雨宿りする。少し雨の勢いがなくなったので私は合羽を着て傘をさしながら来た道を戻った。道が分からなくなった時は分かる所までもどる事が肝心である。
激しい降雨はやがて止んだが、この日幾度か軽く雨が降った。天気予報どうりだ「近畿中部、曇り所により雨」の予報だった。こんなに激しいとは思っていなかったけれど。
ようやく巡礼道にもどる。(地図の道に南側に平行に善峰道と呼ぶ府道があり私はその道に進んでいた。その道は竹薮を通っていた、やがて善峰寺へ行くのだろう)田圃では稲刈され脱穀された藁が山型に組まれ並んでいた。そして畦は彼岸花の赤に染められていた。まだ稲刈されず黄金の穂がたわわに実った田圃もあった。
c0099020_9104511.jpg鋪装された上り坂を歩いて、11時半に西国20番札所善峯寺に着く。「遊龍の松」という全長50メートルまで水平に枝を伸ばされた天然記念物の五葉松がある。入山料払ったからちゃんと見た。庭園は手入れが行き届いている。しかしこの季節ではが目立った花は咲いていなかった。
釈迦堂そばの北門を抜けると東海道自然歩道につながる。地図(*)とは違うが北門を抜けると三鈷寺を通過し左折すると、上り坂になり地図の自然歩道につながる。後は道なりでT字路につきあたる。そこでで左に折れる。(道標には右矢印で金蔵寺と表示)
次の寺も今日中に参るつもりでいた。5時までには着かなくてはならない。しかし道端に停めてある乗用車の中のカップルに遠慮するあまり、じゅっくり地図を見られず、道を間違えてしまった。今日中に次の寺に着くのをあきらめた。それでコースを外れ亀岡市街地の方に向かった。c0099020_91348100.jpgその高台で「曙台九条の会」の看板があり、憲法九条の内容が書かれてあった。スーパーでトイレを使い、靴下を脱いで足を休め、濡れていた衣服を乾かした。そこで一服した後、国道添いで食堂に入った。
その後、倒産したガソリンスタンドのフェンスをのりこえた。軒下のコンクリートの上にシートを敷き薄手の寝袋に入って寝た。横になったころからまた一時、激しく雨が振り出した。
◎1日目 京都向日町から亀岡市街 20番善峰寺参拝 約27キロ歩行


●9月22日 3時頃起きだした。寺に向かうのには早すぎたので亀岡駅の方に歩きだす。駅のベンチに座って足の手入れをした。水虫の薬を塗り、メンデングテープを貼った。駅は最近新しくなったらしい。ベンチがあるのでここで寝れたかもしれない。駅の北側には広大なコスモス畑が広がっていた。それからお寺に向けて歩きだした。途中コンビにでパンと新聞を買いコスモス畑で朝食とした。
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西国21番札所穴太寺は農地広がる平地のお寺で狭い境内だった。入山料などは取らなかった。(20番善峯寺は500円取られた。)しかし 本堂拝観料300円それに庭園も見れば500円払わなくてはならない。本堂拝観は8時半からだというので、時間を待ち、本堂のみ拝観する。薄暗くなっている畳敷きの本堂にはいる。左側から本堂に入り御本尊の右奥の涅槃像を見にいく。暗くて見えないと思っていたら、パッと照明が明々と点いた。人が接近したので照明が点いたらしい。親しみのもてる木造の小振りの仏さんでした。無料だと誰も彼も涅槃像にさわり過ぎて・・・。締めきられた本堂の中で座込み、ゆったりとした気分で観音経を読むことができた。こんな形の有料は在りかと思った。
寄り道になるが、山門からちょっと西に行くと南に延びる「近畿自然歩道(犬飼川の流域 を訪ねるみち)」があった。田圃の中を通る 自動車のほとんど通らない道であったが方向が違ってきたので地図の道に戻った。道標がなくて不安になりながら道なりに進む。c0099020_8462167.jpg桜峠の表示は見付けられなかったが「まつたけ山 に付入山禁止」と紐をはったりフェンスをは っているところが桜峠だろう。その先の学校近くの東掛交差点の越すと食料品店を見つけ、ここで昼飯の買い出しをした。京都府亀岡市から大阪府茨木市に入る。忍頂寺あたりから「キリスタン自然歩道」の道標に従い右側の林沿を歩く。「愛と光の家」前を下り直ぐ右に曲がり坂を登りきる、そこで道標にしたがい左にまがる(このあたり地図では良く分からない、キリスタン自然歩道の道標で大岩を目指すと良い)
私は山手台で崖の下を真っすぐ進行してしまい道を間違えた。たぶんバス停のあるところから宅地のある坂上に登って行かなければならないのである。
計算では夕方に寺の参拝をするはずだったが今日も道を迷い夕闇になっていた。それで茨木駅を目指して行くことにする。明日の寺は駅から近いのだ。中央公園に行くと公園で野宿するらしい人達がいた。ある人はカセットコンロで料理をしていた。電話帳で銭湯を探した、その傍にコインランドリーがあり、風呂に入り洗濯した。12時過ぎに市街を歩き回ったがなかなか寝る場所がない。阪急の茨木市駅の近くのビル地下のエントランスで寝た。
◎2日目 亀岡市街から茨木市駅付近 21番穴太寺参拝 約35キロ歩行


●9月23日c0099020_8475286.jpg 街中を少し歩きお寺についた。階段を上がったとこに「水鉢前にお進み下さい蓮の葉より水がでます」とかかれ黄金の葉から手水が流れた。西国22番札所総持寺は良く植木が手入れされていた。縁起に亀が関わっているので池を見ると、錦鯉がうじゃうじゃしていて中型の亀が申し訳程度にいた。カッコつけずに亀だけうじゃうじゃしとけば良いのにと思った。納経所で、歩きですかと聞かれた。

西国街道説明
西国街道は、古代から京都と西国を結ぶ重要路であり、江戸時代には幕府が直接管理する五街道(東海道・中仙道・日光道中・奥州道中・甲州道中)に接続する脇街道ですが、参勤制度によって多くの西国大名が大阪と京をさけて、江戸への往来に利用した街道です。文化四年(1807年)に完成した「五街道其他分間見取延絵図」によると、京から西国への道は、伏見から分かれて、山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽・西宮の各宿を経て、中国道に続くまでを「山崎道」とし、これがいわゆる「西国街道」です。茨木市内をほぼ東西に走るこの街道は、高槻市土室帳町から茨木市高田町に入って西進し、摂州郡山宿本陣(椿本陣)の前を通って、西豊川町から竿箕面市小野原へと通じています。茨木市教育委員会【路肩にあった説明板より】

国道171線を渡り椿本陣跡を通り、国道の南 側を東に進む、モノレールの豊川駅を過ぎるとやがて箕面市に入る。c0099020_8485919.jpg勝尾寺大鳥居(普通の大きさの鳥居だった。)より北上すれば表参道になる。国道添いに食堂が並んでいて王将で昼食をとった。車道を登って行くとやがて畑の中を経て山道にになる。
この畑が途切れる地点に以下の看板があった。
「お願い 害獣(イノシシ他)による農作物の被害に困り、この度当参道に金網扉を設置致しました。開閉の際は必ず戸締りの御協力をお願い致します 栗生外院実行組合」
【今回の行程で、この登りだけが土の道であった。東海道自然歩道であったり林道もあったが、いずれも車が通ることを想定しておりコンクリートあるいはアスファルトで舗装されていた。】
最後の丸太階段を下ると道路を挟んで西国23番札所勝尾寺の休息所で入山券を買う。山門をくぐると池にかかる道になる。その橋のしたから霞がたなびくようになっていて、こってるなと思った。境内要所に5、6センチ程の達磨が限りなく置かれていた。植栽の根元や壁の上にも達磨が幾つも並べられていた。木造でひび割れているものもあった。京都清水寺のように一方通行になっていて、どうも整備されすぎ気分がのらない、団体や行楽客も多く、私はまともに参拝しなかった。その昔紅葉の時期にハイキングコースから来たときはもっと居心地が良く思えたのに。
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箕面大滝でしばらく休憩する。観光客が多い水場で子供たちが遊び、家族ずれがシートの上でくつろいでいる。餌つけを止めて猿を自然に帰すための監視員がいた。そういえば今日は祭日秋分の日であった。滝から麓まで歩き、箕面温泉へいくエレベーターの前で1時間ほど仮眠した。それから街灯がほとんどない暗やみのなか、ザックの後に赤いライトを点滅させ首に白い点滅ライトを下げ巡礼道を歩いた。西行して池田市に入る。猪名川を渡ると大阪から兵庫県の川西市に入る。この橋は昔、順礼橋と呼ばれたらしい。川西側の堰堤にそって高速の橋脚が立っていて、その下が公園に成っていた。私は街灯が照らさない橋脚の足元のコンクリートの上に寝た。
◎3日目 茨木市駅付近から川西市呉服橋 22番総持寺23番勝尾寺参拝 約29キロ歩行


c0099020_8525720.jpg●9月24日 国道176号を西行くする。札所 の開く時間までは十分あるので福地山線川西池田駅でコンビにで買った新聞を読み、パンで食事する。まだ5時前で閉まったシャッターの前で二名の男の人が始発を待っていた。JR線沿いに歩いていくと、右手山側を走る阪急線からJR線を跨ぐ高架がある。その先に阪急の車庫がある。その高架をくぐると直ぐ左に公園があった。そこには便所と水道ベンチもあった。私はそこで靴を脱ぎ靴下も脱いで休憩した。そこから少し先で右に折れ阪急宝塚線の踏み切りを渡り西行する。このあたり「巡礼街道」(およそ高さ1m20cm 幅40cm)という道標があった。中山駅から北行 してすぐ山門がある。山門に仁王があるが、反対側門の内側から山門を見ると木造の狛犬が鎮座している。山門をくぐると道の両側に塔頭が並びそれぞれが得意な願意をかかげ参拝者に訴えかけていた。そこから本堂まで敷地の高さが二段になっていて、階段とともにエスカレーターとエレベーターがある。JRのエスカレーターと違うよ、上り下り二車線あるのだ。本堂など橙色をめいんに極彩色に模様を染め、飾り金具が黄金に輝いており美しい。
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納経する人は少なく塔婆を書いてもらう人が並んでいた。金をかけている所が違うと思った。エレベーター等に金を使っていることが参拝者が集まる要因の一つになっているのではないのか。そういえば境内の何箇所かでライブ映像をインターネットで流していて、記念撮影をすすめていた。参拝者を集める努力をせずに入山料や駐車料金を取っているだけのように見えるお寺もある。このお寺は営業努力をしている様子がうかがえる。
巡礼街道は阪急宝塚線の北側を西行く。この道は古くからの道らしく、別名、有馬街道、京伏見街道、西宮街道と呼ばれている。宝塚市から西宮市に入ると道は国道176号線を縫 いながら進む。東六甲ゴルフ場過ぎて中国自動車の下を横断して直ぐに右に曲がらなければならなかったのだが、私はそこで直進してしまい北六甲台の団地を回りこみだいぶ遠回りした。
国道176号線沿いに北行し三田市街に入る。 銭湯があればと思っていたが見つけださなかった。JR三田駅の南側の歩道橋上の広場で佇んでいた。5、6人の若い男女が騒ぎたてていた。カップルが何組かいた。まだ夜が更けず街が寝ない、駅周辺での野宿をあきらめる。明日行く番外花山院の方向に歩き途中の城山運動公園を目指すことにする。公園は坂を上りきり、そこからさらに高台に上った所だ。街灯もなく暗やみのなか上りきると、グランドが広がり、その奥に野球場があった。野球場のグランドへの入口がスタンド外壁より引っ込んでいたので、その晩そこで寝た。
◎4日目 川西市呉服橋から三田市城山運動公園 24番中山寺参拝 約30キロ歩行


●9月25日 夜が明ける前、暗がりのグランドをジョッキングしている人がいる。
友が丘団地の給水槽の上にカラスが一羽とまっている。カラスは飛び立つ。右側にゴルフ場がある。やがて道が右にカーブした所にコンビニがあり、そこでカップラーメンなどを食べる。そのカーブを曲がらず真っすぐ細い道に入って行く。途中、トイレがないかと有馬富士への道へ入る。このあたりは古墳がある。
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有馬富士東麓古墳郡 この周辺は、三田市内でもたくさんの古墳があるところです。この古墳群は約1400年前(古墳時代後期)の9基の円墳が集まっており、内部に遺体をおさめる横穴式石室と呼ばれるへやがあります。これらの古墳はこの地域を治めていた人々の墓であろうと考えられます。この貴重な郷土の遺産を永く後世に伝えたいものです。

整備された舗装道が続くがトイレはなかった。(実は木陰で野屎をした。)頂上へ行く登 山道があらわれたが、元気なくて、裾野をまいて車道にもどった。
花山院は小高い山の上、急なコンクリートの舗装の道が続く。私が境内につくと、山道で追い越されたバスの乗客達がいた。老人クラブの人たちだそうで住職がお寺の説明をしていたので、私は参拝の身繕いしながら聞き入っていた。老人クラブの団体が移動したのをみはらかってお参りした。
本尊は薬師如来というので「観音経」よむかどうかまよっていたけど本堂の他に「西国巡礼 本堂 花山法皇殿」としてあった。そこに十 一面観音、花山法皇、弘法大師の像が鎮座しているのだ。そこでお参りした。そこに幾つかの一枚刷りの紙が置いてあり、巡礼の方はお読み下さいと但し書きしてある紙があった。その紙は「巡礼者への法話」とし『納経』とは朱印と墨書をすることではなく(現在は 納経帖に御朱印を集めることが目的になっている。)写経をお寺に納めことです。また『 おいずる』は朱印を集め葬儀の時に着せるものではなく満願の時にお寺に納めるものである。としていた。
お経を唱えることを納経と解釈した話を聞いたこともあり、私は写経を納めずにきた。納経帖が集印帳のようになっていることもいなめない。四国の遍路では本堂前に置いてあるお定まりの「納経」という箱に詰め込まれていて気づかなかった。しかしこの写経をお寺が供養することにこそ納経料の意味があることを確認した。そういえば勝尾寺でも納経所で納めるようになっていた。
麓におり湖の方に少し進と、建物の上に黄金の布袋さんなのか裸で大きなお腹をだした像があった。その像は巨大で遠くから良く目立った。生皇山弥勒寺というお寺で道から見える塔頭の中も華やかに像が並んでいた。
千丈寺湖の南側のコースをとった。水道水のための人造湖で、二つに別れている北側は自然にまかせ釣りなどは許されていないが、南側はエンジンなしのボートと釣りは許されている。湖畔は整備され小さな公園が幾つもあった。ただし火の使用は禁止となっている。
今日も二つ目のお寺にお参りできなかった。花山院でゆったりしすぎて、寺間20キロが歩けなかった。どうせ5時までつけないと途中で芝の上で寝ていた。JR福知山線の広野駅を通過線路の南側を西行する。今日の寝る所は決まっていないし、ここからなら大阪駅まで直接帰えれるしなどと考えているうちに、またコンクリートの上で寝たくないと弱気、里心が出てきた。今回せめて27番圓教寺(約70キロ)まで行きたいと思っていたのだが・・・。そんなこと考えて線路にそつて歩いていた。結局、次の駅、相野から電車に乗り5回目の巡礼を終えた。c0099020_8561120.jpg

◎5日目 三田市城山運動公園から福知山線相野駅 番外花山院参拝 約17キロ歩行(5 日間総計約138キロメートル)
*地図=唯一の西国徒歩巡礼の地図帳「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」発行所西国29番松尾寺
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by henroseikatu | 2010-03-07 21:49 | 西国徒歩巡礼 | Comments(0)