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えひめ大島島四国2日目

5月31
えひめ大島島四国2日目

今さっきから、来栖海峡の大橋の下から、大きな音が鳴ってきだした。暗闇の中だけど海面を覗くと、波立ち西から東に河のように流れている。
明るいうちは流れは分からなかったし、音など上げていなかった。

今、島四国38番にいる。来栖海峡に飛び出た地蔵鼻の絶壁の中腹にある堂にいる。

この岬、半分露出した岩を縫うように大島自然研究路がついている。眺めは四国の町並み見えるし、落石注意なんてそこらじゅうに書いてあるし、誰もいないし。
そんなところのお堂に今晩は寝ます。

今日は23番から38番まで勤行する。途中の寺で詳しい島四国の地図を買う、これがあれば怖いものなし。
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by henroseikatu | 2010-05-31 21:55 | 歩いて四国へ10年

大三島の花と空

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橘安純
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by henroseikatu | 2010-05-29 16:12 | 歩いて四国へ10年

高根島とみかん

高根島(こうねしま)は田圃のない、みかんだけの島で、今でこそ生口島に出荷しているけれど、橋が架かってない時は直接東京に出荷していて、ブランド品となっていた。いまでも農協でのあっかいが違う。
高根島では二男、三男は島を出ていって、長男が家を継ぐの。外から来て土地を持つなんて出来ないの。
(以上、生口島の非農家の女性)

昭和40晚年代は一年間の働きで家一軒建てられた。3000万円位かな、私の家は明治からの家だけど、この辺の家はその頃建てたの。

面白いことに、愛媛の家は松山に向けて建てているの、ここは広島だから本土に向けて家を建てているの、だから、高根島も生口島側にしか住居がないの。生口島との橋は、高根島と生口島に8つ晚の農協があったけど、それを一つにまとめるのを条件に農水省の金で造ったの。

高根島でも、かっては温州みかん作っていたけれど、今は作れない、温暖化で産地が北になっていている。ここでは地中海気候に合うものを作るようになっている。

一日一度違うと一年間では積算温度が360度違うの、植物はそれが大事なの、その一度のために○○肥料入れたりするの。

植物は手入れしただけ収穫が良くなる。これからは出費ばかりで、秋にならないと現金ははいらない。

この町も後継者がいなくて、斜面の作業はきつくなる。
(以上は高根島のみかん農家の人の話)

島四国の事
生口島では春の時期がくると、は各公民館がそれぞれの札所になりお参りする。
高根島にも形に残っていないけど、かっては88ヶ所があった役所に行けば記録が残っているはずだ。
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by henroseikatu | 2010-05-29 09:15 | 歩いて四国へ10年

やっぱり何にもなかった高根島(こうねしま)

やっぱり何にもなかった高根島(こうねしま)
観光協会の人のなんにもない島という言葉を振り払い、ある人の「今日は満月でみかんの花の香りが匂い・・・」に勇気づけられ、ロマン求めて、大きな荷物しょつて歩いたのでした。

生口島から黄色い橋を渡って高根島へ、右回り島の外周を防波堤沿いの道を行きます。
私は島の反対側へ行けば集落があるものとばかり想像していたのですが、全くみかん畑だけで集落などはありません。
集落は生口島に面した所にあります。

ずっと堤防沿いの平らな道、農家の軽トラックとは何回も合ったが、声を交わしたのは自動車で来ていた釣り人二人。
それから山越、いや峠越の登り坂になる。そのピーク手前から灯台への道があります。いずれも、道路標識はありません。ボランティアと表示した。目立たない看板があるだけです。

灯台は地上から三メートルないものですが、明治時代に設置したままの建物が残っている貴重な灯台で、日本の灯台50選に選ばれているそうです。

灯台から元の道を戻り、しばらく登るとすぐトンネルです。高さ制限2.2m軽しか通れないのでしょう。入口出口はコンクリートで固められていますが、中央はデコボコ、掘りっぱなしままです。

そのまま、下っていけば、直ぐに堤防沿いの幅の広い道になり、間もなく出発地点に戻ります。

ほんに何もなかった。
みかんだけを作っている町です。かっては儲かった時代もありましたが、競争相手が増え(手間がかからないからと参入する人もいる。)
みかん以外の果物や嗜好の多様化でみかんを食べる人が減った。と町の人は言っていました。
みかんを作ることだけが生活になっていて、それ以外のことを求めてはいなかったのてましょう。

花が咲く頃、高根島に行くと、その匂いが感動的らしい、どの産地より密度が濃いのですごいと言う人あり。
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by henroseikatu | 2010-05-28 20:33 | 歩いて四国へ10年

今朝あけがたに

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空が白く成ってくる。向かいの島の向島の山波がハッキリと浮かんでくる。
画面の右の空には暗い雲が迫っている。
右上から中央に向かって橋が消えていく。その線にそって外灯の灯りが点々と連なって消える。

波の音が強く響く、平らな海おだやか海、大型船が沖を通りすぎると岸に打ちつける波音が急に大きくなり耳をひきつける。
昨晩と違い、今日は海岸に近い東屋にテントの入り口を海に向けた。
橋の夜景、暗い空間、その闇を走る一つの光。
大きな塊が闇を移動する。
暗闇を走りぬける大型船、小型船。


朝方、こんな文かきながら送れなかった。
この後、因島を離れ生口島に渡った。
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by henroseikatu | 2010-05-27 19:04 | 歩いて四国へ10年

因島の除虫菊

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葉っぱを噛むと、キンチョウ蚊取り線香の味はしなかったけど苦かった春菊の変わりにはならないだろう。
昔、野宿の仲間は線香がわりに「よもぎ」を燃やしていた。
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by henroseikatu | 2010-05-27 07:21 | 歩いて四国へ10年

因島88ヶ所のいわれ

因島88ヶ所のいわれ

むかし尾道に住む漁師が四国へ漁に出ての帰りに一人の旅僧から「どこでもよいから舟の着いたところへおろしてもらえないかね」と便乗をたのまれたので心よく舟に乗せ、途中なにごともなく、大浜の現在灯台のある浜辺へ降ろしました。
旅僧は厚く礼を言って上陸しました。漁師は見るともなしに振り返ると、たった一人乗せたはずの旅僧がみるみるうちに増えて八十八人の僧が次々と上陸して行きました。この話は人から人へ伝えられ弘法大師が因島へ渡られたのだといううわさがひろまったのでした。その後も奇跡的なことがたびたびあったので明治四十五年因島の全村が話し合い島四国として、因島八十八ヵ所の霊地を設けることになり全島民の奉仕でつくられました。
この巡拝路程は84km(約21里)で3日間のハイキングコースに絶好、旧3月21日を中心に付近の島じまや、遠く北海道方面からも大師のご遺徳をしのび村上水軍の遺跡や美しい島のまわりの景色をたずねつつ、島人の厚い情にひたる参拝客も多い。
(各お堂は無人で朱印もありません。)

平成20年、(社)因島観光協会発行の「へんろ」と題するリーフレットより


もし、因島の88ヵ所を回りたい人は因島観光協会の「へんろ」と題した地図を手に入れて下さい。
その地図に二ヵ所の点線で示した山越えの道は現在通る人がいません、きけんです。私はみたいに堂の道は案内どうりに山越えしてはいけません。
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by henroseikatu | 2010-05-26 16:52 | 歩いて四国へ10年

5月25日 因島八十八ヶ所霊場6日目

5月25日
因島八十八ヶ所霊場6日目(一日雨で動けなかったので、5日で島四国を廻ったことになる。)

向島から因島へ渡った、その橋の下に「因島大橋記念公園」と言うのがあって。因島の島四国の第一番がある。ここまで来て島を一周したことになる。
今、その公園で一週間ぶりに着替え、洗濯をした。

今日は73番から参拝し、最後の88番まで参拝した。
今日のエピソード何かあったかなと考えているが思いつかない。
最後のこの町に全部で15も札所があるもんだから、あっちこっち行き、路地にあるもんだと思っていたら、上の方、庭先とおって高台にあったりして、上見てたら直ぐに分かったのに。
人を見つけたらすぐ聞くこと。島四国を回るこつ。

85番は白滝山の中腹にあるので、山頂まで登ってきた。そこは五百羅漢とも言われ、表情豊かな地蔵仏像がところ狭しと並んでいる。江戸中期の宗教家が浄土を再現しょうとしたらしい。しかしその宗教家、一揆を怖れる藩により毒殺されたそうです。
その山道を保育園児が登ってきていた。ちょつと滑ってもケガするのに?
まとまりなくておやすみ
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by henroseikatu | 2010-05-25 23:28 | 歩いて四国へ10年

5月24日 因島八十八ヶ所霊場5日目 

5月24日
因島八十八ヶ所霊場5日目

霧雨か雲の中か因島公園。あたり真っ白。
幸い、ひどく濡れているのはテントだけ、他はリックにつめ、テントは別にした。

今日は44番から、また雨雲が流れて来て一時、雨が降る。蒸し暑く汗が吹き出る。

46番では、めずらしく堂の扉が開けられ、ご婦人がいた。何時もは誰もいなくて閉まっているのですが、今日は商店街の催しであけています。
そして「ご縁袋」(色紙で作った??と五円玉)と小さなお菓子をもらった。

そうこう、しているうちに雨雲が流れ去り、青空が出てきた。日差しがまぶしい、風が吹くので気持ち良い。
49番で勤行しはじめると、歩行補助車を押したお婆さんがやって来て話しかけてきた。(じつは堂の隣が家)
「家がお寺だったんだけれど、お父さんが死んでしまって、あ母さんはお寺を出されてしまった。家族ばらばらで、母の顔も思い出せない。四国遍路行ったけれども、皆抜かして先に行くけれども私は順番に廻っていって大変・・・」そんな話をしてくれた。

その時、私はお札を渡し、その前後は忘れたがお婆さんからアンパンの接待を受けた。
私が般若心経を詠んでいると、あ婆さんも声を出して唱えていた。
勤行が終わるとお婆さんがお札をもう一枚下さいと言う。信心深いパン屋さんに上げるのだそうだ。
私は恐縮「何のご利益もありませんよ」と言いながらお札を渡した。

昼飯は見つけたスーパーで巻き寿司を買い、漁港の防波堤でテントを乾かしながら食べた。
そんなこんなで今日は71番まで打った。

それから海岸かべりを北上し、最後の札所が固まってある重井町の近辺まで歩き、小高く成っている畑の一角にテントを張った。
月の光が明るい、風がふく、草がそよぐ、向かいの島にちらちらと白っぽい灯火

外灯のない島で月があって風があって寝れなく成ってしまいそうな今宵
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by henroseikatu | 2010-05-24 22:48 | 歩いて四国へ10年

5月23日 因島八十八ヶ所霊場4日目  

5月23日
因島八十八ヶ所霊場4日目

雨、一日テントの中。

大きな東屋の下に、中心をそらして四角いテーブル風の皆で使える腰かけがある。で調度テントを建てると直接雨はかからない。
ところが、因島公園見晴らしが良い。それも高い尾根にこの東屋があるので、雨が横殴り来るもんで、テントがだんだん濡れてくる。幸い、風が巻かないで一方向だったので、じわじわと足元から浸水してきた。
でも今回は小さくなるエアーマットを持ってきたので寝るのに不安はなかった。

この前、スーパーで衝動買いした「空海とヨガ密教」を読み終え、後は寝て一日をすごした。
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by henroseikatu | 2010-05-24 20:01 | 歩いて四国へ10年