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薄曇り洗濯干して充電して

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高知県宇佐に来ています。宇佐しおかぜ公園に来ています。こからホエールウォッチングの舟が出ています。
この公園の隣には、テトラポットを作っている。
橘安純
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by henroseikatu | 2010-07-27 12:01

ままならずまた歩き出す遍路かな

ままならずまた歩き出す遍路かな
(2010年7月26日付け)

しばらく高知でうろうろしていたけれど、また歩き出した。
高知駅周辺二泊、桂浜隣の種崎千松公園に三泊した。
千松公園はキャンプ場になっている。四国でも無料で大っぴらにテント張れる公園はここだけだろう。(一応、一週間以内となっている)


遍路で歩くのもダレてきて、目的が解らなく成ってきた。
ちょっと考えようとしたけれど頭が思考しない。
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by henroseikatu | 2010-07-27 11:10

四国遍路みちぞい物語23-24●乳の崎狼煙台● ●島弥九郎事件跡●

携帯から「四国遍路みちぞい物語」に投稿出来ないので、仮にここに書いておきます。


23-24●乳の崎狼煙台●[海陽町、国道55線沿い那佐湾に面して]

今から200年前、江戸時代後期になると、異国船が日本近海に出没するようになり、また異国船の漂流もあって徳島藩は主に海上警備のため県南海岸に10ヶ丘の狼煙台を設置した。竹ヶ島煙台を起点にこの乳ノ崎煙台に継がれ、次に牟岐大島へと順次狼煙をあげ、御城下へとつたえられた。この乳ノ崎煙台は那佐湾の対岸山頂にありほぼ全景が残っている。
海陽町教育委員会
[2010年 四国遍路みちぞい物語]


23-24●島弥九郎事件跡●[海陽町、国道55線沿い那佐湾に面して]

元亀二年(1571)春、長曽我部元親の末弟島弥九郎は、病気治療に有馬に出かける途中、風浪を避けて那佐湾に停泊していたが海部城主越前守の率いる軍勢の急襲を受け、土佐勢の奮戦も空しく弥九郎は家臣三名(三島小島)に上り自害して果てた。このことは元親阿波侵攻の口火となった。弥九郎の非業の最後を哀れみ、村人は島の上に小塚を建てて霊を弔った。後年、元親もこの地に三島神社を建立して、弥九郎の霊を祭った。
海陽町教育委員会
[2010年 四国遍路みちぞい物語]
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by henroseikatu | 2010-07-18 18:26

遍路道情報 23-24 法海上人堂

遍路道情報
23-24 法海上人堂(淀ヶ磯、明徳寺と佛海庵の間、へんろみち保存協力会地図24-4の左頁)
2010年7月13日

実は去年の今頃、法海上人堂に行ったとき道路側の水場に水が来ていなかった。それを直して水が出るようにした。
今回寄ると、また水は出ていなかった。東洋大師の「水とトイレあります」の看板がかかっているが、水を求めるには沢に入って行かなければならない。
当日の夜は雨のかからない場所に寝たくて先を急ぎ、水が出るように直すことは出来なかった。

去年、沢のホースの取水口を石で囲み、道路沿いの水場と堂前のお水屋に水が流れるようにした。今回どちらも水が流れていなかった。
多分、大雨になると石が動きホースは簡単にははねあがって、水は流れなくなってしまうのだろう。日常的な保守が必要なようです。


この当たりの海岸線、沢の音がしていても道路沿いで水を得ることは出来ない。
歩き遍路にとって、もし常に水場があれば、とても有難い。感謝するだろう。去年、私が直した時に法海上人堂まで水目当てに来た女性がいた。


奈半利国道出張所が「歩き遍路をされて、道路に関して困ったことや、改善して欲しいことをお気軽に連絡ください。」と書いている。
それに甘え奈半利国道出張所に相談して見るか、国会議員通した方が良いかな?誰か議員紹介して!
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by henroseikatu | 2010-07-16 19:12

26番金剛頂寺

遍路道情報
26- 金剛頂寺
2010年7月15日
本堂の前でロウソクを灯した。その時チィラッと見た、備えつけの線香、ちょっと違う。手に取って見ると、カビが見事に全面的に生えているではないか。通常より短めで太い線香が三本束になって20円。ためしにライターで火をつけようとしたが燃え上がらない。
雨が続き、湿気ってしまうのは致し方ないがカビが生えるまでほっとくとは二三日のことではなかろう。通常の寺なら毎日、ロウソク台にこびりついたロウを掃除し、線香立ての灰をならしている。

また、本堂地下で、四国遍路原画展自由にご覧下さい、と書いてあったが実際には鍵が閉まっていて入れなかった。私は自由にと書いてあったので見ようと思ったので、そのまま見ずに済ませた。

金剛頂寺からの徒歩下山道は落葉が湿っていて、石畳の上で滑りそうであった。二ヶ所倒木が道をふさいでいた。端を通れば通行はできたが、遍路道の整備なんてする人なんていないのだろう。
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by henroseikatu | 2010-07-16 11:28

青年は夜通し歩く風雨室戸

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2010年7月13日夜
バス停でくつろいでいると、目の前を若者が通る。
午後7時半、これから夜通し室戸岬まで歩くと言う。あと20km程だから寝るところもないし夜を徹して歩くと言う。

私は、5時過ぎまで歩きづくめで、やっと安住の地に着き、濡れたもの干して安穏している。
24番最御崎寺(ほつみさきじ)を目指し、この辺り雨の日の野宿場所は限られている。
このバス停は六畳はある、三方ブロックの、風も殆んど入らない頑丈な造りだ。
そこで湿った物を干して、明日の朝は気持ちよく歩き始められる。

その若者は男性で未成年と思われる。半ズボンにTシャツ姿、晩飯も食べていないと言う。
次の漁港にスーパーはあるけど、そこに着くのは9時過ぎ、開いている可能性はない。
今、雨は降っていないけど、また雨は降るだろう。

私も余分な食糧なくて、飴玉を3つ探しあて青年にあげた。また会いましょうとは挨拶したけれど、多分そんなことは無くて、彼は闇のなかを歩いて行った。
(室戸市佐喜浜町入木バス停泊)

写真は14日午前9時の夫婦岩から見た海岸線
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by henroseikatu | 2010-07-14 09:14

一期一会

2時頃起きると、となりに寝ていた人はいない。私はテントの中に寝て、その人は東屋の長椅子で寝ていた。
そう言えば昨夕方、今日は寒いねと言いながらシャツを重ね着していた。
寒くて眠られず夜中に歩き始めたのだろうか?

彼は逆打ちだが、2日前に室戸の御蔵洞で通夜していて、一枚じゃ蚊が刺してくるのでズボン二枚重ねて寝ていたが、蚊の来襲にたえきれす、2時頃起き上がり歩き出した。と言っていた。


私が昨晩、飯を炊くから食べないかと誘った。そうすると「いま絶食中だから」と断られた。荷物はワンデーバック一つ去年は北陸を歩いたと言うから遍路をしている訳でも無さそうだ。
(2010年7月12日 海陽町JR海部駅さき東屋で宿泊)
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by henroseikatu | 2010-07-13 09:01

遍路道情報23-24

遍路道情報
23-24薬王寺から最御崎寺の遍路道


順打、国道55線南下、鯖大師、大砂海水浴場の先。
(へんろみち保存協力会地図、24-3)
国道を歩いていると旧海南町市街通過の二つの遍路道の分岐になる。そこには「国道沿いの方が距離が短いです」と「国道沿いで接待があります」との表示。
私は旧来の道を行きたかったので、国道を離れ左に道をとった。この道には、確か江戸時代から信仰を集めた仏像が野外に立っている。
途中地図を見ないでいたら、目立つ二つの案内板に従い歩いていると、国道(浅川駅付近)に出てしまった。
地図を見ていなかった私が悪かったのだが、古い道の途中から国道へ誘導するのはおかしい。この案内板には古い道の表示を加えるべきである。

旧海南町市街通過の時に古い道を通る場合、国道を左に入る。浅川港では「遍路の道はこちら」案内板に惑わされ右側に行かないようにしてください。港に沿って道なりに進んで下さい。
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by henroseikatu | 2010-07-13 07:29

遍路6番安楽寺から8番熊谷寺

遍路6番安楽寺から8番熊谷寺
2010年7月2日
昨晩泊まった台山公園で昼までテントの補修などしていた。

それから6番安楽寺、7番十楽寺を参拝する。
8番への遍路道を歩いていると、接待所から呼び止められて、足を止め荷を下ろす。
ビニールハウスを利用した接待所で、七人はいただろうか、女性が一人で後は男だ。
どこの住職も女好きだ。〇〇の線香たては300万。業者も寺の予算目一杯の品物に加工してくる。菅さんが一日目に来て三時間ここで話していった。などと話をしていた。
私は「同行二人旅」と言う歌を歌った。音程が取れなくて悲惨な歌になったが、歌詞が良いと言ってくれた。

また歩き出すと雨が降りだした。用意していた傘をだす。
熊谷寺で通夜することにする。接待所でも駐車場のプレハブに二名まで泊まれる、と聞かされていた。

●8番熊谷寺は何時もの様にご詠歌を境内に流していた。
本堂に向かう階段を登って行く。紫陽花がとりどりの色に咲き誇っている。
本堂に行くと、きらびやかな袈裟衣のお坊さんが、意味は分からないが節をつけ詠っていた。
少し聞き惚れ、本堂での勤行は止め大師堂に回った。

納経所で納経帳に墨書朱印してもらい300円払う。
それから「通夜したいんですけど」と私が言うと。
お婆さんであろう女性は、内は通夜堂はありません、通夜できません、と言った。
駐車場にプレハブがあり、エアコンまで付いているのを確認して、そこに寝ると決めていたのだが。
そうとうショックで有ったが、慌てず騒がす。

仕方なく寺を出て歩き出した。地図によると寺の隣に公園があるではないか。
早速そこに行く。
木々に囲まれた絶好の環境に東屋がある。トイレも水も自由に使える。
私の常宿になるかも知れない。

暗くなって、前のテニスコートに照明が点く。若い男女がボールを打ち合っている。
そろそろ私もテント立てて寝ようとするか。
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by henroseikatu | 2010-07-02 20:50

遍路 4番5番 別格1番

2010年7月1日

●4番大日寺を目指す。
1番から始まって最初の古い遍路道を感じさせる道。畑の間を行き、眼下に住宅みながら山裾を巻いて進む。小川をまたぎ、草はらを進む道だ。
この道には藍にちなんだ所が二ヶ所ある。
藍染庵には藍作りに功績の有った犬伏久助の像がある。
藍染庵の手前、林の中に岩田ツヤ子の碑がある。(今は同じものが庵にもある)岩田ツヤ子は第二次大戦中、食糧増産のために禁止作物になった藍を、密かに栽培し続け、戦後直ぐの藍生産を可能にした人だ。

大日寺の本堂から大師堂へは、廊下がつながっている。その廊下から江戸時代に奉納された西国33ヶ所のご本尊の観音様が並んでおられる。格子越しであるが見ごたえがある。

●少し下ると五百羅漢がある。拝観料いるし今回はパスして、第5番地蔵寺へ。勤行していると、マイクロバスの団体遍路さん。ういういしい装束だが、この団体さん先達さんがついていない。それぞれかってに、三々五々手を合わすだけでお経をあげる様子がない。
白装束はしているが蝋燭も線香の準備もしていない。

本堂や大師堂の扉は閉まりぱなしだが納経所の扉は自動扉であった。そうえば一番の納経所の扉には手動ですと書いてあった。

お参り終えてベンチに座っていると、背の高い男の遍路さんが座った。
その人と世間話をした。台車押しての逆打ちで、ゆっくり廻っている。近ごろはダレすぎている。台車は農家がハウスの中で使うタイヤのついたもので、荷物が重たいのか中国製のタイヤが良くパンクする。

私が昨晩泊まった公園を紹介すると、そこに泊まると言う。午前中から決めて、今日はほとんど歩かないことになる。


私が別格に行くと言うと、その荷物で山に登るの大変だな溝渕さんに荷物預けて打ち戻りすれば良いと言う。台車になると電車にも乗れなくなるから、キャリヤにしてけば自由に動ける、とも言われた。

●別格1番大山寺(たいさんじ)は山の上、汗をしたたらし登る。
仁王門の屋根にブルーシートが張られていた。その屋根の吹き替えのために寄進、一枚二千円と銅板に名前と願事を書くようにしてあった。その仁王門さん自身も傷みは激しい、足先は欠けているではないか。

仁王門近くの杉の大樹も大きいが、本堂近くにある銀杏の大木の枝振りが良い、一番下の枝が横に拡がっている。


山を下り、車道を歩いていると柿の手入れをしている80歳のおばちゃんに会う。挨拶すると、お菓子をごちそうになった。
田んぼは人に預け、柿だけやっている、おじいちゃんが死んじゃつたからな。と言っていた。
●歩いていた道沿いに「四国のみち」の休憩所を見つける。(台山公園)
急な綴れ織りを登りつめると展望台に成っていた。
水もトイレも無かったが、そこで寝ることにした。
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by henroseikatu | 2010-07-02 11:31