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九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝92日目 湯前まんが美術館

92日目2013年12月23日(月)湯前まんが美術館
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝92日目 湯前まんが美術館

漫画か!と思いながら、美術館の前を通ったら、歩道沿いに「一コマ漫画」が展示されていて面白そうだったので入場することにした。
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この美術館は「湯前まんが美術館 那須良輔記念館」で那須良輔の政治漫画、似顔絵の常設展と「那須良輔風刺漫画大賞」の作品展を行っていた。
那須良輔さんは昭和7年洋画家になるため上京、学費稼ぎのために漫画を描きだすと途端に売れっ子になる。召集され軍隊でポスター等の絵を描いていた。戦後新聞社の嘱託として政治漫画を描きだす。
昭和9年「のんきな殿様」でデビュー、以来数多くの作品を発表。すぐれたデッサンと鋭い観察力で特徴たっぷりに描きながら、それぞれの時代の政治家や社会事象を風刺しました。

街頭展示大賞作品
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第21回(平成24年)那須良輔風刺漫画大賞

「合同低空飛行訓練」 中尾忠明(愛知県)
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by henroseikatu | 2014-01-04 01:43 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場 隠れ念仏

九州八十八ヶ所百八霊場 隠れ念仏
鹿児島では隠れ念仏の顕彰碑をいくつか見た。そして熊本でも法難の地として顕彰している。

●かくれ念仏伝承地
江戸時代、薩摩藩は一向宗(いっこうしゅう・真宗・浄土真宗)を禁止していました。にも関わらず信仰を捨てず、隠れて「南無阿弥陀仏」の念仏を唱え、信仰を続けていました。
【鹿児島県南九州市】

●永田正源法難の地
正源は江戸時代、一向宗禁制の中、細布講(ほそぶこう)をひそかに続け、信仰を守り抜こうとした人物です。
しかし役人の知るところになり、ついに捕えられてしまいます。正源は仲間に法難が及ぶことを恐れ、逃げ出し松林で自殺しました。
【鹿児島県南九州市】

●山田村の傳助殉教地
 室町から江戸時代まで、一向宗(浄土真宗)は禁制であった。禁じたのは、人吉城主相良晴広で、天文二十四年二月七日「晴広様被仰定候条々」の中で
  一向宗之事、いよゝ法度たるへき候
と見えるのが最初である。その後、江戸時代を経て、明治六年(一八七三)秋の開教まで禁制は続いた。
 そのような中で、山田村の傳助は祖父の代より熱心な信者で、仏飯講を開き、懇志金を集め、本山へ上納することが多かった。
 寛政八年(一七九六)傳助は禁制を破った罪で、六月一九日獄門に処された。明治三十六年(一九〇二)仏飯講百五十年のおり、合戦峰に傳助供養碑を建て、獄門のあと抜き取った歯一本を埋葬したという。
 傳助の墓は、山江村大字山田字又ヶ野の下村喜一氏の墓地内にある。
         山江村教育委員会
山江村指定史跡
相良三十三観音十二番札所
合戦峰観音堂        
     【熊本県相良村】
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by henroseikatu | 2014-01-03 23:18 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場 南九州の田の神

九州八十八ヶ所百八霊場 南九州の田の神

鹿児島さつま町から宮崎えびの市にかけ国道沿いに「田の神」を見るようになった。それまでは気にかからなったけど、えびの市で「田の神」を熱心に紹介していた。

さつま町
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●『田の神さあ 田の神さあは、稲の豊作を願って祭られた南九州独特の石仏です。昔から「たのかんさあ」と呼ばれ、人々に親しまれてきました。18世紀初めから作られ、その数は、今残っているものだけで、1,500個以上といわれています。しゃもじとお碗を持っているのが農民型の特徴で大きさは30-40センチ、その表情はさまざまです。
田の神さあは、今でも、田や畦の近くに置かれ、収穫の秋には、村人たちによって顔にお化粧され豊作感謝の宴が開かれます。

民族学の上からも南九州貴重な文化財となっています。本県ではえびの市を中心に西・北諸県地方に広く設置され祭られています。』
菱刈町
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●素朴で表情豊かな田の神さあ巡りをしてみませんか。
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田の神は、五穀豊穣を祈ってその多くが石で造られ広い田んぼを見渡す場所に鎮座します。えびの市では「田の神さあ」と呼ばれ、市内には、農民型、神官型、地蔵型、自然石など約150体にも及びます。
旧薩摩藩独自の石像として18世紀っ初めに始まるもので、貴重な文化財であり、観光資源でもあります。田の神は、冬は山の神となり、春に里へ下り田の神となって田んぼを守り、豊作を約束する神として信仰されてきています。田の神さあのもつ魅力は、その表情豊かさにもあります。素朴なほほえみをたたえた田の神さあ巡りをしてみませんか。

えびの市・えびの市観光協会
えびの市
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by henroseikatu | 2014-01-03 23:18 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝98日目 第54番医王寺

98日目2013年12月29日(日)
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝98日目 第54番医王寺
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第54番医王寺 住職が使う大きな打ち鐘が眼の前にあったので、重い打ち棒を両手でもって二打した。とても低い音で、そのうねりは強く響いた。その後の経や真言の間の打ち鐘は、小さな打ち鐘を叩いた。
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小さめの仏像が幾つもある。みんな黒光りしている。いずれも仏像名が明記してあるので嬉しい。
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by henroseikatu | 2014-01-03 23:17 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝96日目 厳冬の備え完備

96日目2013年12月27日(金)厳冬の備え完備
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝96日目 厳冬の備え完備

人吉から八代へ国道219号線を下っていく途中、声をかけられた。「リバージャンプ」というラフティング発船場の社長から声をかけられ、事務所で話をした。
それで暖かい防寒コートとレッグウォーマーをもらった。社長からは私が寒そうな格好に見えたのだろう。
そのとうりで、やせ我慢していた面があった。なるべく冬にしか使えないものは買わずに、重ね着ですまそうと思っていた。気に入った白い服もないし、使い捨てできる中古の安い服も手に入らなかった。
私は例年、冬に向かう時、「耐寒訓練」と称して、しばらく薄着のまま我慢してから冬物を手に入れてから着るようにしている。一度暖かいものを着ると手放せないのである。
程度の問題はあるけれど、毎日大部分の時間を外気にあたっていると、寒さもにもなれてくる。風がなければ気温10度(9度と10度の差は大きい)は暖かいと思う。
歩き出すと直ぐ体は暖かくなる。太陽の光がそそぐと汗が出てくる。気があれば寒さも気にならない。

そんなことはさておき、やっぱりもらった防寒コートはぬくぬくと暖かいのである。太陽にあたると脱がなくてならぬ暖かさなのである。お米ももらった。現金の喜捨もいただいた。

どうしようもない私に足らないものは暖かさであった。
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by henroseikatu | 2014-01-03 23:16 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝95日目 第99番高野寺 第53番観蓮寺

95日目2013年12月26日(木)
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝95日目 第99番高野寺 第53番観蓮寺


f0222943_163367.jpg第99番高野寺 住職は普通の仕事をしていたが30歳を過ぎてから仏教の勉強をし、母方のお寺を継いだそうである。「檀家も少なく貧乏な寺だが、それだからできることをしていきたい、今は寺を継いで良かったと思っている。」と言われた。
「修行中、四国遍路をして寺のありかたも考えさせられた。」としてお参りする者の立場を考えておられる。

庫裏の玄関で納経帳をわたす。私が本堂に入ると、住職が素早くストーブに点火する。帰りの時は去り際まで見送ってくれた。
優秀な技がある。本堂の扉の中央を少しだけ2、3センチほど開けてあった。来たときにその隙間を見て、住職が読経でもしているかのと思った。それだけで人気を感じた。私が帰り住職が本堂の扉を閉じたときも来たときと同じように中央に隙間があいていた。
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本堂は八角形の建物で、柱も八角形に成っている希有な建築物である。文化財との声もかかるが、いろいろ規制が付くので拒んでいるとのことである。


第53番観蓮寺 まっすぐ上って行くと札所である観音堂にたどり着く。高さ2メートル程の木像の千手観世音菩薩があり、左右には菩薩より背の低い四天王木像が鎮座している。隔てるものがないので、木像のようすがよくわかる。

隣に大師堂がある。確か、平成8年に建立という、きれいな堂である。中に入ると簡素な室内、板敷き中央上方に厨子の中に、高さ50センチ程のお大師さんがいる。
お大師さんを見あげながら読経していると、お大師さんの眼が大きくなったり、微笑んだりしているように見える。簡素な狭い部屋でお大師さんと対峙しながら、一心に読経するのは気分よろしい。
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by henroseikatu | 2014-01-03 23:15 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝95日目 青井阿蘇神社

95日目2013年12月26日(木)青井阿蘇神社
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝95日目 青井阿蘇神社

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高野寺の住職と話していて、寺の向かいにある神社を参拝することにした。



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青井阿蘇神社は平安時代創建、願成寺とともに相良藩から保護を受け現在に至る。

急勾配の茅葺屋根、軒から下を黒漆塗りとし、組物や部材の面に赤漆とし、飾金具などで装飾されている。

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by henroseikatu | 2014-01-03 23:14 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝94日目 第50番願成寺 第52番高寺院

94日目2013年12月25日(水)
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝94日目 第50番願成寺 第52番高寺院


第50番願成寺 幼稚園が敷地の一画を占めている。本堂内は歴史のある寺院に思えた。
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第52番高寺院 本堂の中に入れそうもなく、扉の外で勤行した。中を覗いてみると仏具はなく、骨壺が一つ置いてあるだけであった。

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庫裏の玄関に回ると
「朱印等 御用の方は
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000-0000
へ御連絡下さい
尚、朱印のみは、灯明台うしろにありますので御利用下さい。
        高寺院」

本堂に上がれなかったお寺は、九州八十八ヶ所百八霊場を一番からほぼ順打ちして、確か三ヶ所目である。この寺での本堂前礼拝は、ありがたさがない。毘沙門天の真言を明記して欲しい。寺もお参りする者の立場を考えて欲しい、霊力を少しも感じられぬお寺だ、朱印が欲しくて巡拝している訳ではない。

このお寺の場合、立派な収蔵庫の前に灯明台、香炉を置いた方が、御本尊の霊力を少しは感じるような気がする。
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本堂の奥、収蔵庫前にある「疳墓堂」が気になった。
『三基の墓の内、中央の石塔が○○○○○○○○で俗に疳墓さんと呼ばれています。○○○○○○○○「毛筆と焼酎を供えて詣れば疳虫を除いて○○○○と遺言されており沢山の人々が詣りに○○○○」』
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by henroseikatu | 2014-01-03 23:12 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)

九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝92日目 第98番生善寺

92日目2013年12月23日(月)
九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝92日目 第98番生善寺
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第98番生善寺 山門の左右に猫が鎮座している。f0222943_0425255.jpg
本堂は茅葺きの屋根をトタン?で囲っている。一方、観音堂は茅葺きのままで細工が綺麗に彩色されており美しい。
このお寺では小さいけれど蛍光灯で明るく照らされた、ご本尊を見ながらお参りした。
どうも私は邪心がありいけない、住職が女性であるだけで、うきうきしてしまう。男子が生まれなかったので親の後を継いだそうである。
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猫寺伝説
天正十年(一五八二)、相良藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、湯山佐渡守宗昌とその弟普門寺の盛誉法印が殺されることになった。その話を聞いた宗昌は日向へ逃げたが、寺に残った法院は殺され、寺も焼かれてしまう。
 無実でありながらわが子を殺された法院の母、玖月善女は愛猫玉垂を連れて市房神社に参籠し、自分の指を噛み切ってその血を神像に塗りつけ、玉垂にもなめさせて、末代までも怨霊になって相良藩にたたるように言いふくめ、茂間が崎というとこ身を投げて死んでしまう。すると、相良藩では、猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕許に立つなど、奇々怪々なことが起きた。
 藩では霊をしずめるために普門寺跡に千光山生善院と名づけて寺を建立。現在の本堂も観音堂も、その時に建てられたものだ。法印の命日である三月十六日に、藩民に市房神社と生善院に参詣するように命じ、藩主自身もそうしたので、怨霊のたたりはしずまったと伝えられている。
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by henroseikatu | 2014-01-03 22:34 | 九州八十八ヶ所百八霊場徒歩巡拝 | Comments(0)