歩いて四国遍路へ 5月3日 姫路市川

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歩いて四国遍路へ 姫路市市川

今日5月3日、勇んで大阪を4月28日に出て6日目、約90km進んだことになる。(一日15kmのペースである。困難でいいの、遅い方の申請を出した方がいいな。)
今日は2号線で市川を渡り、休憩しようと水辺に行くと、草が刈られ、頃合いの樹木の木陰があり、そこで長居してしまった。で結局、今日は10km程しか進んでないのだ、どうだまいったか・・・

その水辺に、短い丸太が転がっていた。しばし考え、それが腰掛けになることが判明した。長い丸太を切株にかけた長椅子もあった。
後で聞いた話で、その丸太は上流から流れてきた丸太で、それを短く切り利用しているのだそうだ。

この辺りの川辺を人が入れるように雑草を刈ったり、増水時の水の流れが良いように無駄な樹木を伐採したりしているそうだ。
その団体「市川美しくしよう会」と言い、その会長さんと話した。私が行政と話し合ってやっていくのは大変でしょうと言うと、会長は「行政にはやらせません、行政をたよらずに自分達でやるんです」と言われた。
私の中にも行政にやってもらう、という感覚が深くあることを自覚した。このごろは行政に要求し、公共の金に頼る所団体ばかりが多いのである。NPOと言っても金を引き出す団体としの存在なのだ。行政にたよらず実績を作っていって、川縁の遊歩道を自分達で作ろうという意気に賛同したい。
別の人から聞いた話では、みんなボランティアで自分の好きな事やっているんです。あすこで枯れ枝をもやしているでしょう。(そこでは子供と大人が火を燃やしていた)その人は、今は殆ど土砂に埋まっている、昔水辺に行く階段の土砂を取り除いていた。どんどん石や土が堆積してしまう、昔は河川から砂利や砂を集めていたけど、今は禁止されているから川底が上がっている。水辺も手入れしないと木がはえ大きくなってしまう。木陰を少しは残すけど小さい木は伐採しないといけない。
会が決めたことをやるんでなく、おのおのがそれぞれ、やっているのが好ましい。会をまとめるのは大変だろうけど・・・

私はそこにシートを引き寝っ転がる。日差しがあり、風も快く吹き気持ちがよい。
洗濯をした。道すがらコインランドリーもあったが、どれも大型で金を使うのだ。私の地元大阪西成では、まだ一回100円200円の洗濯機があるけれど、シャツ一枚洗うのには大型コインランドリーは使えない。
川辺の軟らかい土に枝をさし、木まで紐をはった。そこに長袖シャツ、靴下、褌、手拭いを各一枚ほした。
やっと折りたたみのバケツ利用できた。洗濯物乾いた。洗顔石鹸とは別に洗濯石鹸を持ってきた甲斐があったというものだ。このバケツも捨てられなくなった。

この日、地元の人と話していて、これから先、2号線より海沿いを通っている250号線が眺めが良いとのお勧めだ。私も地図を見ると2号線は山の方に行くので少しでも楽したいとの思いもあり250号線にいくことにした。

市川沿いに南下する河川敷からやがて堤防の上を歩くようになる。上下二車線歩道のない道と雑草の際を歩く。
勧めてくれた人が30分位で行けると言っていたが一時間たっても先が見えない。その人も普段は自動車で通ったとしても歩いたことはないのだろうし、私の歩行速度がとても遅くてかたつむり。

やがて250号線に突き当たった。夕方の5時になっていた。丁度その交差点には「浜手緑地公園」があり、今日の寝場所が早々と決まった。
毎晩寝場所を探し、暗い中、後ろから迫る車を感じながら国道を歩いている。都会の隙間を探し、その隙間に潜り込もうとして、あてなく歩いているのだ。

公園の街灯の下で、ゆっくるメールを打ち込む。
足を石鹸で洗ったのが、とても気持ちよく気分がスッキリした。
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# by henroseikatu | 2010-05-04 06:54 | 歩いて四国へ10年 | Comments(0)

平和物件 兵庫県高砂市

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# by henroseikatu | 2010-05-02 18:34 | Comments(0)

尾道に行きつける

歩いて四国遍路へ はつらいよ

今、加古川です5日目、梅田から73kmの地点です。
4月28日に勇んで大阪を出て、尾道まで梅田から250kあまり、概算で一日50km進めば5日間でつくと思っていた。
最初は3月に出かけるはずだったが、うだうだ、なにもしないでいたら5月も間近の出発になった。
その間、バッグを加工したり、遍路で使う用具を手作りした。遍路の野宿に便利なようにと荷物もそろえた。そんなこんなで出発時荷物の重さは約20kmあまりになっていた。

余裕もって動くのにはかなり重いようだ。
四国に渡るには尾道から今治に瀬戸内海を渡るしまなみ海道を渡るしかない、その尾道まで、あと170km行けるか、仮泊できる東屋やバス停なくて、接待も善根宿もない本土を歩いてたどり着けるのか?60近いおっちゃん、何考えているのかな・・・
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# by henroseikatu | 2010-05-02 12:02 | Comments(0)

歩いて四国遍路へ

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いよいよ、梅田出発。夜8時過ぎ、2号線を西に、尾道まで約250km、いざいかん、いやいって下さい。
今日はまず神戸が目的地30kmほど。


ああ写真は大阪市道路元気(一字訂正 標)
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# by henroseikatu | 2010-04-28 20:20 | 歩いて四国へ10年 | Comments(0)

ためし

大阪は雨の予報で、旅立ちを明日に延ばした。
今朝起きたら雨降っていなくて・・・
これから降るらしいが最初から意気地のない事である。

道ばたに老後生活あてなく歩く
向こうには信じるふりして歩きだす
この星も長居しすぎた放浪す
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# by henroseikatu | 2010-04-28 06:36 | Comments(0)

四国遍路09年

以下22記事、転入しました。
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# by henroseikatu | 2010-04-09 00:11 | 四国遍路09年 | Comments(0)

四国彷徨1

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四国彷徨1

ヘルスメーターにのったらデジタルの表示が100.0になった。
どうもこのメーター100kgまでしか計れないらしい。荷物を下ろし体重だけ計ると84kgあった、服を着ての重さだ。腹回りは1mを超していた。最近腹が減っていても腹がへっ込まない。(太っりぱなしなんだよ?)遍路のために新しく買ったニッカは98cm、当然ファスナーは閉まりきらない、ジャッを表に出して腹をかくしている。
荷物は厳選したつもりだったけど、出発まぎわにサンダル、折りたたみ傘を入れたりして、荷造りがいい加減になっている。ザックなど荷物は全部で15kgになった。勉強しょうと思って持ってきた本、携帯電話の充電式アダブター、デジタルカメラやパソコンを使うための小物。そんなもので重たくなっている。

四国遍路をするつもだったけど、考えていたら遍路に固執することもないと思い出した。前から信仰なんて無かったし・・・
遍路を装いながらの四国彷徨です。

それで今、フェリーに乗っている。和歌山から徳島港に行く。よく揺れるので、気持ちが悪そうになるので、横になって携帯電話でメールを打ち込みしている。

今晩は国道沿いを歩くつもりだ。
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# by henroseikatu | 2010-04-09 00:05 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日の花

今日の花
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√55の阿南あたり、咲き終わったつつじをしりめに、アスファルトを破って現れた勇姿。

この国道沿いの植栽の根元はシートで被われている。
路肩の法面(傾斜面)もシートで被われ不細工、間隙わ縫って一匹狼顔をだす。

雨、断続的に大降り。カッパ着て傘さして、靴は浸水。

阿南市那賀川道の駅にて、10時雨上がった? 歩き出す。
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# by henroseikatu | 2010-04-09 00:04 | 四国遍路09年 | Comments(0)

四国彷徨2

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四国彷徨2
【5月21日】
徳島港に6時半に着き、直ぐ歩き始る。国道55線を小松島市方向に進む、南下する。

18番恩山寺の手前の義経騎馬像の下の東屋をめざした。

その東屋に着くと「この場所での寝泊まりを禁止します。 小松島市」と張り紙がしてあった。
それで社で寝ようと、社に行けば、そこには先客がいた。賽銭箱のある、縁台のわずかなスペースにテントが張られている。
雨が降りだしてきた。仕方なく東屋に寝ることにする。ここはトイレもあるし、人気も少ない。しかしながら前には住宅がある、それも夜遅く帰宅、朝早く出かけるのだ。寝るなと言うのも分かる。今日は雨も降ることだし、ビバークと言うことで大人しくしているので許してもらおう。
雨は本降りになってきた。風が強くなってきた。
トイレも水もあるけれども、うるさく出来ないので、洗濯せずにベンチに寝袋で寝た。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 23:05 | 四国遍路09年 | Comments(0)

四国彷徨4

四国彷徨4
【5月23日】

昨日の晩飯は食い損ねた。歩行中に店やが無かったのだ。自動販売機があったので缶コーヒーでごまかした。
福井ダムをたち、いや観音にたちよると、東屋があり、水もあるし人もいない。
そこで一晩では乾かなかった洗濯物を干すことにして、ゆっくり時を過ごすことにした。

それから、道は海岸沿いになり漁港や海水浴場を通過、美波町木きで坂井様に声をかけられ、畳の上で泊まらせてもらった。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 23:04 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のお地蔵さん

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今日のお地蔵さん
【5月24日】
毛糸の帽子が濡れそぼって淋しそうにしていた。
国道55線を日和佐から南下してトンネルを抜けた、道端に佇んでいた。

台座に供養と戒名が刻まれていた。もしかすると、ここで交通事故で亡くなられた人のためのものではないのか?

そうしていると、ご婦人がやって来た。
冬物から春物へ衣装を替えると言う。
建立者とは全く関係なくボランティアで衣装を着せてあげているそうだ。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 23:02 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日の石仏

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今日の石仏

【5月25日】
弥勒石仏 1834年造
海陽町浅川旧遍路道沿

弘法大師入寂一千年を記念して堺や兵庫など広く呼び掛け、供養と衆生済度のために建立したものである。
当時は金色に輝く光背があり、多くの尊信があったそうだ。

今はあまり見向きされていないようだ。
地蔵さんじゃあるまいし、前掛けは良くないと思いますが。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 23:01 | 四国遍路09年 | Comments(0)

室戸の荒波だ!

室戸の荒波だ!
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昨日の風にはまいった。海辺に張ったテント、風にもたなくって撤収。
それからあてなく歩き出した。海岸線沿に国道を室戸岬に向かう。
暗くなり、風に雨、室戸の風を体験しました。
だが鳥居を見つけ山道を登ると、コンクリート造りの避難小屋並み神社があり、しかも施錠していないのでした。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 23:00 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のお地蔵さん

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今日のお地蔵さん

【5月28日】
√55吉良川西宮休憩所(室戸市吉良川町字西宮)
東屋で一休み、雨の止み間はあるけれど風は強く吹き続ける。
この休憩所、花壇で囲まれている。
その一画にお地蔵さんが鎮座する。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:59 | 四国遍路09年 | Comments(0)

二、三日前のオブジェ

二、三日前のオブジェ
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√55の道端に、幾つもの手作りの椅子が並んでいた。
「オヘンロサン休んで下さい」と書いてある。
いろんなバージョンの椅子があって、そのなかでも座りたくない椅子№1がこの椅子。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:58 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のオブジェ

今日のオブジェ
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【5月28日】
室戸の風ふきつける、雨ふりかかる。
住所は旅人にて分からず。


人形が空を飛んでいるではないか・
人形ではなくて人魚でした。

“おっぱい”があまりにも、なまめかしくて、恥ずかしいです。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:57 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のお地蔵さん 寅さん地蔵

今日のお地蔵さん 寅さん地蔵
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今日のお地蔵さん 寅さん地蔵
√55、安芸市伊尾木
国道から少し北に入ると、有名な渓谷、伊尾木洞があり、そのそばにある。
寅さん、渥美清が死んでから造られ本人はご存知ない、本人が知ったら断るのではないか・

日本全国で寅さんシリーズに出ていない県が富山?と高知だけで、高知県に映画を誘致し、「男はつらいよ49作寅次郎花へんろ」の撮影が決まった。
ところが撮影前に渥美さんが亡くなられたてしまった。

そんなことがあり、誘致に動いていた人が、寅さんを偲んで地蔵さんを設立したそうだ。

じつは、この彩色寅さんの隣に、多分本当の寅さん地蔵が鎮座している。派手なビジアルに見ばいで偽物の方を載せた修行たらずの私です。
本物の寅さん地蔵は、この三倍程の高さで、彩色されていない。
寅さん地蔵の御利益は「旅の安全、縁結び」だそうです。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:55 | 四国遍路09年 | Comments(0)

09年6月1日 昨晩は寝た所

09年6月1日 昨晩は寝た所
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09年6月1日

写真は昨晩寝たコテージ。

昨晩は高知の「種崎千松公園」に泊まった。川をはさんで隣が桂浜だ。砂浜に面した展望デッキにテントを張った。
この公園は海水浴場でありテント場としても公認されていて、バーベキューをやっても良いらしい。屋根つきのカマドがあり薪を燃やすこともできる。
立て札には「但し長期は困ります、一週間程度まで」としている。
今はゴミ箱を置いていない所が多いが、ここはゴミ箱が数多く置かれており旅行者にはありがたい。炊事用の水道もあり、洗濯するのにも便利である。

松林の中にはブルーシートを張ったらテントがある。定住している人もいるらしい。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:53 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のオブジェ くじらの水飲み場

今日のオブジェ くじらの水飲み場
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09年6月1日
高知県立坂本龍馬記念館の庭にあった。
さっそく塩吹きさせてみた。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:52 | 四国遍路09年 | Comments(0)

昨日のオブジェ

昨日のオブジェ
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変圧器をそのまま使ったポスト
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:51 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日の寝床 09年6月5日

今日の寝床 09年6月5日
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雨あがって空あかるくなってきた、と思ったらまた雨が激しくふりだした。
ここ何日か人生を濃縮したような天候。
昨日だって、雨やんでカッパ脱いだら又雨降りだして、天気も思うようにはいかない。

今朝は四万十町の七子峠から歩き。激しい雨の中、37番岩本寺をお参りした。それから√56を南下、何度か古道に入り山道を歩く。
やがて黒潮町にはいる。今日の寝床の当ては全く無かったが、ひたすら歩いた。

あてなく歩いていたら、まだ明るい6時頃、伊与喜天満宮の看板があった。
急な階段を登ると、そこに東屋と小ぶりの拝殿。拝殿に鍵は掛かって無くて、六畳間ぐらいの板間、ゴザが壁に立てかけてあった。
結果、四国のみちの東屋にテントを張って寝た。

あてが全くなかったのに、あるいて歩いて、突然あらわれた今宵の寝場所。
良かった感謝。橘安純
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:49 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のオブジェ くじら空飛ぶ

今日のオブジェ くじら空飛ぶ
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高知ではどこでも鯨をシンボルマークにしている。
今日の通過した港ではホエールウォッチングを宣伝していた。

黒潮町入野の中心街入る直前の√56道路脇にあった公衆電話ボックスの上を飛ぶ勇姿。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:48 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今朝の日の出

今朝の日の出
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何ごともなかったかのように
今朝も太古から繰り返えされてきたように
太陽は登った
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:47 | 四国遍路09年 | Comments(0)

入野松林にて

入野松林にて
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陽射しをさけて松林の中にシートを敷いて寝っころがる。松の間から砂浜に砕ける波とサーフィンする若者がみえる。

昨晩、12時ごろ目を覚ますと、月に照らされた波打ちぎわを大勢の人が歩いていた。ウミガメの保護活動かなと思った。
朝早くから海岸を散歩していた。6時に前に波打ち際ぎわを、こちらに向かい歩いてくる人がいる。
ゴミ拾いかなと思った。近づいて来ると、右手に何か棒様の物を持っている。貝でも取っているのかと思った。
聞いてみると、ウミガメが産卵していないか探しているとの事。
普通は深夜に産卵するんだけれど、まれにに朝方に産卵するので、その卵を掘り起こして孵化場で保護するそうだ。

のんびりして携帯で文章を打っている。歩き出す気はなくなってくる。急ぐことは何もない。
しかしだな、予備のバッテリーは空で、充電器の充電も切れ、通信根絶の危機である。
宿にはなかなか泊まれない。この前、発見したのは手をかざすと水が出る蛇口、あれはコンセントから電源取っているんだよ。道の駅でこの方法で充電したことある。

雨降らないと気まま生活。今日はこのまま潮風に当たって寝ていても良いな。
悔しかったらコメントしろ
橘安純
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:44 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日の格言

今日の格言
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世界は平凡か?
未来は退屈か?
現実は適当か?
安心しろ
それでも
生きることは
劇的だ!

(少年ジャンプ「めだかボックス」)

お寺の門前の掲示板を見ていたら、漫画から取ってきた言葉だったんですネ
普通は格言集から写すだけなんですけれどネ
良い感性している住職ですネ

土佐清水市 浄土宗蓮光寺の掲示板より
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:42 | 四国遍路09年 | Comments(0)

今日のオブジェ

今日のオブジェ
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土佐清水市 足摺岬西岸 大浜、中浜などでみられた。
漁業で使われていた浮きを利用して作られている。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:40 | 四国遍路09年 | Comments(0)

四国彷徨09年6月14日

四国彷徨
09年6月14日

四国の海岸線に沿って右回りに歩いている。
昨日、愛媛県宇和島市津島町に入った。

ゲートボール場の掘っ立て小屋の長椅子の上に寝た。この先の公園に行こうと思っていたのだが良い場所を見つけた。野球場やサッカー場に隣接していて、立派なトイレが有ったのだ。
その障害者用トイレで顔と足を洗い、身体を拭いた。毎日汗だくだくに成りながら、そのままだったのだ。三日は汗だくの同じシャツを着ていた。
そして汗臭い服を着替え、脱いだ服を洗濯した。
さらに、そのトイレにはコンセントがあり、じゅっくりと携帯電話の充電が出来た。

夜が明けて公園に来た。前に津島を通った時も「東レク」という標識だけは目に入っていた。わざわざ行こうとは思わなかった。
「津島プレーランド」とも「東レク」とも呼ばれるその公園、大規模で木陰が多い。人間が大ゲージの中に入って鳥を見るバードアイランドと言う施設がある。(無料)ゴーカート場がありこちらは有料だ。おまけに日曜日だというのに広い公園、人が見えない。

津島に来たら「東レク」に行こう。ここが常宿になりそうで早々
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:37 | 四国遍路09年 | Comments(0)

6月29日 接待づけの一日

6月29日 接待づけの一日
昨日は今治の四国88ヶ寺第59国分寺を参拝して終わった。そうして、休暇村に密かに潜入して一夜を過ごした。

6月29日荷造りをして、さあ出発しようかと思っていたら、雨が降りだした、そのうち本降りなった。

びしょ濡れ覚悟で歩くこともできず、また昨日から雨が降りだしたら、雨宿りしておこうと考えていたので待機を決め込んだ。
そこで横になり、そのうち寝ていた。

気がついた時、雨は上がっていた。
もうふりそうもない。昨日も予報に反して雨は早朝だけだった。急きょ8時過ぎになって出発することにした。

毎日、日射しで汗だくになっていたが、今日は違う。
異常に蒸し暑い汗が絶え間なく湧き出てくる。空は曇って太陽は出ていないが汗が吹き出る。
歩くのに勢いつけるため、唄をうたったり、詩を朗読したりしていた。
そのうち顔施の事を考え出した。声をだし笑ったり、笑顔を作ったり、歩きながらしていた。

通りすぎて、パンでも買っておこうと思った。前向いたまま、後退りしながら小さな食料品店の硝子戸を開け、パン有りませんかと言いなから店に入った。。
大きな荷物にを背負ったまま、窮屈に店を物色した。買いたい物は余り無かったが、菓子パン二つとキャラメルコーンを買った。それで300円払った。パンは120円はすると思うんだけど。
店主と話し込んでいたおばさんがリポビタンDを一本接待ですと言ってくれた。

電動シニアカーに乗ったおばさんがこちらに向かってくる。停まって手元で何かしている。
私は「おはようございます」と言う。
おばさんはお接待ですと言って50円玉を下さった。

しばらく行っていると、後ろから大変ですねと声をかけられた。そこで接待しますと言われ、酒屋の中に入られた。
何にしますかと言われた。昼間からビールとも言えない。自動販売機で100円の安売り表示してあるのを見てコーラを下さいと言った。
声をかけてくれた女性は酒屋の人らしい。
男の人が出てきて自動販売機からコーラを二本袋に入れて私に手渡した。

思いがけない接待で気分ルンルンになって足どり軽く、道も少し下り坂で勢いついたのかも知れない。

そろそろ昼近くなる。店屋は何軒かあったけど飯屋はなかった。
何処かでさっき買ったパンで昼飯にしたいけど、このへん住宅街で座わる場所もない。
下り坂で足どりは軽い、こんなことで昼飯が何時も遅くなってしまうのだ。

そんな時、住宅街の一軒の垣根のない玄関さきに「お遍路さん接待所 お気軽に茶をどうぞ 鈴なる」の看板が出ていた。
そして長椅子とテーブルが設えてあった。
そこでさっき買ったパンで昼飯にした。時刻を確認するとちょうど12時を過ぎたところでした。

食卓を片付け、荷造りをしていると、そこの主人がお出かけになる。
私がお礼を言うと、彼は何か作りましょうと家の中にもどろうとする。
私は食事は終わりましたからと断った。
ご主人は言った、四国では何処でも優しいです。スーパーに居れば残った物をもらえますよ。等と話された。

道々、挨拶して交わされた言葉。
今日は蒸し暑いですね!
雨上がって良かったですね、歩くには丁度よいですね(日射しがなくて)!
ようお参り!
と声をかけられた。

今日は四国八十八ヶ所のお寺ではなく別格二十霊場をニヶ寺目指している。
今は別格10番の西山興隆寺目指して歩いている。
いよいよ上り坂になってきた。そのころから雨が降り始めた。私は傘をさした。ザックには朝から雨避けの防水カバーをしている。
雨は時に激しくふり、足元を濡らした。カッパをはけばはいたで蒸して濡れてくるので、この日はカッパを着ずに傘をさすだけだった。

全く、登り口になって雨が降りだした。長い本堂までの階段、値打ちのあるお詣りである。
(寺の様子省略)

興隆寺を下山し、次の寺に向かう間違えて別の方向に暫く進んでしまった。
それでも納経(帳面に朱印墨書もらう)に間に合った。別格11番生木地蔵を参拝した。

寺の境内に商店街と書いてあったので、それを頼りに雨の中を買い出しに向かった。
確かに商店街を示す街灯は続いているのだが、なかなか商店が見えない。
1キロ位は歩きやっと店があらわれた。スーパーがあった。開いてはいなかったが銭湯もあった。開いている食堂を見つけた。
上がり間口に荷物を下ろし、何となく冷たい視線と感じながら腰を下ろした。食堂としているが夜は飲み屋になるようだった。
カウンターにはゴルフコンペ帰りの男たちが酒を飲み哄笑していた。

私は700円の唐揚げ定食を頼んだ。
私が食べていると店の女性が、これ荷物にならないでしょうからとあめ玉を袋に入れてくださった。
会計の段になって、先程の女性の母君らしい人が出てきて遍路の話をした。
今日は何処に泊まるのと聞くので、丹原公園の東屋と答える。遠いじゃない。来るときに見えたもんで。

お寿司もって行きなさい、ちらしといなりどっちが良い。
とお稲荷さんをもらった。さらに空に成っていたペットボトルにお茶を詰めてくれた。
私は非常に恐縮して、今回始めて私の納め札を差し上げた。
最後に私は甘えて、捨てられなくて持ち歩いていたゴミを捨ててくれるようにたのんで渡した。

その後、私は時々激しくなる雨の中、2キロ程戻り公園の東屋にテントを張って寝た。

その晩、別口の大量の差し入れもあったが、それは言及しないでおく。
とにかく今日は接待を受けることが多く、遍路している有り難さ感じた一日であった。
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# by henroseikatu | 2010-04-08 22:34 | 四国遍路09年 | Comments(0)

歩いて四国遍路5 大和川の下高野橋わたって四天王寺へ 2010年3月29日 

歩いて四国遍路5 大和川の下高野橋わたって四天王寺へ 2010年3月29日

国道309から、下高野街道街道へもどる。
西除川左岸の遊歩道を北上。天美あたりのやっと上下二車線の道幅に昔の街道の名残りかと思う。
大和川の河川敷でシートを敷いて昼寝、インターネット喫茶ではネットしていて、ほとんど寝れなかったのだ。

大和川に架かる橋を渡る。「下高野橋」だ、この名前が街道にちなんで付いていることを始めて自覚した。
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長居公園のそばを通る、現在の街区を左に斜めに横断するように頻繁に左折右折する。

下高野街道として別の道筋もあったが、私は武藤さんが進める庚申街道の道で四天王寺まで行くことにした。
近鉄阿部野橋駅東改札口は地下にあるけれど、その南側の出口は松崎口であり、
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その地上出口そばに「庚申街道碑」がある。この碑に書いてあるが庚申街道を顕彰するために、
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北側の地下出口を庚申口としたとあった。

庚申堂を通って四天王寺に行った。


3月26日から29日の四日間で高野山から大阪・西成の自宅まであるいた。
しばらくの雨がやみ、和歌山北部晴れという予報で出発日にした。
山の上は吹雪で、しさしぶりの寒さ・・・

四日間、    km(あとで調べる) 159261歩 であるいたことになる。
今度はここから四国へ行くつもりです。
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# by henroseikatu | 2010-04-01 15:48 | 歩いて四国へ10年 | Comments(0)

歩いて四国遍路4 河内長野へて松原で泊 2010年3月28日

昨晩泊まったところから少し行くと美加の台へでる。車道は立派な片道二車線になり、もちろん歩道完備、昨晩の歩道もない道と大違い、そして周囲は高いビルの宅地に占められている。

高野山女人堂へ八里塚の里程標

 京の都と仏教の聖地高野山を結ぶ高野街道は、平安時代の皇族、公家や、中世から盛んになる武士、庶民の高野山参詣に利用されました。f0222943_041504.jpg
 中世以降は、高野山参詣をする人の往来が特に多くなり、江戸時代には、一般庶民の社寺詣でも盛んになりました。そして、それらの旅人の利便性から、街道筋には多くの常夜灯や道標、里程石が建てられました。
 道標や里程石には、角柱に加工したものや自然石、お地蔵さんの形をしたものなどいろいろな形がありますが、ここから南へ500mほど行った新高野橋の北側の袂にある里程石は、頭の先のとがった30cm角の角柱で、高さが178cmもあります。江戸時代、安政4(1857)年に建てられたこの里程石の一面には、「西是ヨリ高野山女人堂江八里」と彫られています。
 このような里程石は、堺市榎元町にある「十三里」をはじめ、高野山神谷にある「一里」まで、ほぼ一里ごとの建てられており、13本のすべてがが現存されております。なお、市域には、この「八里」のほかにも、「九里」が古野町に、「七里が天見に残されたいます。
      河内長野市  歴史街道
                    [三日市町駅前(南海高野線)にあった案内板]

三日市町駅から下高野街道を四天王寺にたどると。国道をこし高台になっている上田町に周辺の遺蹟の案内板がある。
上田町文化財・社寺等の歴史案内
二、上田胸切地蔵の由来
江戸時代初期に泉州堺のある資産家の娘が紀州橋本にある富豪の息子と婚約がととのい、吉日を選び花嫁が駕籠にのり、花嫁道具を多くの人夫にかつがせ、西高野街道と通り上田のこの急勾配の坂にさしかかった時、南の方から一人の男が息を切らせて駆けつけ、「私は橋本の婚礼先から参ったものですが、今朝花婿になる息子さんがどうゆうわけがあったのか、伝家の宝刀で自殺を遂げたの事をお伝えに使いとして参った」とのこと。一行は一旦堺に引き返す事になった。
その時駕籠の中よりただならぬ叫び声が聞こえ、駕籠の戸を開けて見ると、花嫁は着飾った晴れ着は鮮血に染まり、親元より用意の短刀を逆手に持ってわが胸を突切っており、手当の施しようもなく、絶えいる息の下より「我が家を出るときに、女と生まれ一旦他家へ嫁いだ以上決して実家には帰れないと常々両親から教えられ、自分にも深く心に誓っていた。それに今生涯の夫と定めた人が死んでしまった、かくなるうえは生きて実家には返れませぬ」
といい残してこの坂道で亡くなったという。上田村民はこの花嫁の霊を慰めるために相談し、この坂道に石地蔵を建てて祀りし、胸切地蔵として供養した。
又この坂を胸切坂とよぶようになった。この胸切地蔵は急勾配の坂の下り口の西側にお□りされていたが現在は少し上の交差点に移されお祀されています。

三、高野街道「堂の辻地蔵」
堂の辻地蔵は元々高野街道三日市宿の入り口で街道に面した増福寺の境内で堂の辻(高野街道往還筋)に在った地蔵で高野詣の人々の道中安全を祈願して建てられたもので、この地蔵尊と共に「南無大師遍照金剛」と刻まれた石塔があり、真言密教の弘法大師の御加護により道中安全に高野詣が出来るように祈願したものと考えます。又初瀬(はせ)寺からの高野山への供養塔(観音石像)も建てられています。尚、この地蔵尊他石塔の上には木格子に囲まれた三日市宿内上田駅の高札場が設けられ、堺及び紀伊見峠を結ぶ馬継ぎ宿駅の賃金札及びお定め書きが江戸時代まで掲げられていた。明治に入り石地蔵及び石塔のみこの場所に移され、小字名を「井の上」と呼ぶので通称「井の上地蔵」とも後に呼ばれています。

五、上田のふたつの森
江戸時代の古文書(上田村明細帳)に奈良時代(天平年中)の上田に大きな森が二ヶ所が在ったと書かれている。一つは三日市幼稚園及び敬老院の周辺一帯は「雨山(あまやま)の森」と呼んでいた。
天平年中この地域一帯に日照りが続き、百姓は水が無くなり米等穀物の苗が枯れ困難を極めていたが、その時一人の偉いお坊さん「行基」が通りかかり、住民の苦しみを見かねこの場所で雨乞いをしてくださった。おかげで空はにわかに曇り雨が降ってきて田畑は息を吹き返し、又池には水がたまり田に水を入れることが出来た。村人はこの場所を「雨山の森」と呼ぶようになった。
もう一つは上田の東側一帯の河川岸を「金の森」と呼んでいた。天平年中この地域を開拓していたとき土に混じって金が出てきたという、「きっとここに産土(うぶずな)神が存在されるのだ」と、この森を「金の森」と呼ぶようになり、後になってこの森に金吹(かねふく)稲荷大明神と福丸(ふくまる)稲荷大明神をお祭りしたという。
昭和になって現在の稲荷大明神がお祭りされている場所にニ体が合□されています。

一、増福寺四、上田金比羅宮六、高野街道三日市宿内上田駅「高札場跡」以上は省略

平成十八年三月吉日 河内長野教育委員会 上田町会



三日市町駅前も河内長野駅前にも高野街道の案内板があり、「ツールド大阪」との道標で近辺の歩行が案内されている。
河内長野駅近くの街道にあった灯籠と駅前石碑   f0222943_0415038.jpgf0222943_0415093.jpg


河内長野駅のアーケードから北北西に真っ直ぐにある道は細く自動車も通らない、昔の街道を思わせる。今は自転車が盛んに通っている。





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狭山へ入る手前で地元の人と話す。私が高野街道を歩いていると言うと、「今はそんな人はいないね、昔は南海でハイキングを募集していた」と言われる。

ずっと町をぬうように細い町内の道を行く。北余部で食事すると、もう外は暗くなっていた。もう街道を探しながら進むのは無理なので、大きな道を進むことにした。
2km程東に進み、国道309号線を北進する。松原市に入り国道沿いにあるインターネット喫茶に入り、シャワーを浴びる。
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# by henroseikatu | 2010-03-29 00:41 | 歩いて四国へ10年 | Comments(0)