新四国曼茶羅霊場を歩く51日目 高岡神社 

新四国曼茶羅霊場を歩く51日目 
2011年 7月24日日 高岡神社
窪川運動場で寝た。東屋がない、しかも夜間は入口が閉鎖されてしまう。

窪川駅から真っ直ぐ道なりに行くと、窪川高校、窪川中学の前を通り丘を降りきると川があり、その橋を渡り直進すると高岡神社の小山に突き当たる。
高岡神社参拝する。この神社、本四国37番岩本寺の近辺にありながら、一度も立ち寄っていない。もともと、ここにあった福円満寺が37番の札所だったらしい。
社務所もある中ノ宮を中心に右に東大宮、今大神宮そして左に今宮、森ノ宮が、それぞれ石の鳥居があり、拝殿神殿が鎮座している。神社前の民家で朱印もらえると張り紙してあったので、その民家を訪れたがご主人不在ゆえ朱印はもらえなかった。
●高岡神社(五社神社)由来記●
平安時代初期、伊予豪族であった河野家の子孫がこの地に来住し一帯を開発して祖神と崇敬神を祀ったのが仁井田大明神である。
以来仁井田郷六十八ヶ村の総鎮守神として崇敬せられ、特に戦国時代には仁井田五人衆の武運守護神ともされていた。最初は一社であったが天長三年弘法大師が境内に福円満寺を創立し四国霊場の札所としたとき社を五つに分け、各社に諸佛を祀り五大大明神と改称され、神佛習合の神社となった。当時各社の神主は武家格式を有し、神社前には門前町が並んだ。
神宝として、土佐二代藩主山内忠義公奉納の金幣、西原紀伊守の刀、仁井田豪族傑中西権七の所持したと伝えられる長刀、近くから発掘された古代の銅鉾などが納められている。

国道56号線北へ、七子峠からは下り一方、歩道のあるところも二カ所あったが、ほとんどが歩道なし。路側対を示す白いラインぎりぎりにカーブを突っ込んでくる乗用車もあり緊張を強いられた。

土佐久礼のスーパーで弁当を買い、海岸で飯を食べる。洗濯もせずに海岸の松林の下にテントを張り寝る。
夜中前、雨が降り出す、とたんに大振りになり、あわててザックもって便所に退避。やがて雨上がり雲はなくなり星が見えだした。
濡れたテントをたたみ、荷物を持ち久礼駅前のバス停で仮眠することにする。
バス停に着きしばらくすると、また激しく雨が降り出した。
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by henroseikatu | 2011-07-27 22:37 | 新四国曼荼羅霊場 | Comments(0)
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