托鉢遍路№018 四台目のキャリー買う〜№20

●托鉢遍路№018 四台目のキャリー買 11月21日2011年

邸宅のある大阪から、今年の6月4日に四国に入り、それ以来寺巡りの巡礼を続けている。
最初はザックを背負うだけだったが、そのザックの重さに足裏が悲鳴をあげ続けたので、キャリーを買い、それを引っ張って歩くことになった。そのキャリーは二輪で手で引っ張って歩いている。
それまで足裏に水疱ができ続けていたが、その心配は全くなくなった。
水疱が出来るのは靴とか、靴下のせいだと思っていたのだが、単に重量オーバーと言うことであった。
今では足裏の心配はない、サンダルで歩いても大丈夫だ。

そのキャリーだが、耐久性があまりない。元々そんな長距離を引くことを考えていないので、直ぐに、車輪が消耗し使えなくなってしまう。
耐久性の有るものも売っている。しかし値段が高いのとキャリー自体の重量が重たいのが難点である。
結局、安価に大量販売されているキャリーを買うことになる。
何時からキャリーを引くようになったか月日ははっきりしないが、半年あまりで三台のキャリーを使い潰したことになる。

キャリーを引くようになって、肩に荷がかからなくなって、荷物が増えてきた。
本当は、色々不充分なことがあり、それを辛抱しながら歩くのが遍路なんだろう。
しかし私は、大阪に帰る予定もないし、遍路が日常で生活なので所帯道具が揃ってしまった。
少欲知足、涅槃寂静を心願にしているけれど、悟りなど、とうてい無理。
煩悩ばかりのキャリーを引く私である。


●托鉢遍路№019 河原で日向ぼっこ 11月22日2011年

あんまり天気が良いので河原に来て日向ぼっこしている。

今日は強い風がなく、日射しが暖かい。
昨日は太陽は射したが、冷たい風が一日吹き、居場所がない私は寒い思い、寒い考えしか浮かばなかった。

今日は目いっぱい、門付するぞと朝方は思っていた。
そして9時過ぎに、この路地から門付すると決めてから、ちょうどそこにあった自販機で温かいコーヒーを一杯ひっかけた。
コーヒーでくつろぎすぎ、天気の良さもあり門付の気が失せてしまった。

まあ、天気のせいにしているけれど、本当は怠け癖がでただけのことである。
61年間培われた性格は変えようがない、ケ・セセラである。
冬支度のための資金を集めなければならないけれど、ケ・セセラである。

私の知っている人に、人に心配かけながら、あるときは人に迷惑かけ、自由奔放に生き、(私のことでもある)ボックリと、病気や交通事故や凍死で亡くなった人を多数知っている。
関西は大地震大災害の可能性が日々に高まっている。大隕石地球衝突人類絶滅の可能性もある。(飛躍しすぎです)

歳をとるほど、一日一日を楽(たの)しく楽(たの)しく楽(らく)に過ごしておかないと、損をするのは自分です。
と言うことですが後で泣きを見るのも自分です。

天気が良かったからな、饒舌に、陽気になりすぎた。
私の情報源から明日から徳島の天気悪くなる予報。泣きを見ることになるか?続く。


●托鉢遍路№020 布施の心1 11月24日2011年

強い風が吹き抜ける。雲が流れ、ときより太陽が隠れる。
頬を冷気が触って行く。
コートが手に入ったので快適な寒さだ。一応の冬支度は出来た。あとはご馳走を食べ皮下脂肪を貯めるだけだ。

昨晩、公園で食事の支度をしていると、30代位の男の人が声をかけてきて、遍路談義をした。
私はラーメンを作りながら、下を向きながら受け答えしていた。私は座りながら彼は立ったままだった。私は上の空だった。
そして、その彼は立ち去り際に私にニ千円の喜捨をしてくれた。
私は驚いてしまった。千円ならまだしも、ニ千円も、私がキャリーカートを引っ張っているので単なる遍路とは感じていないはずだ。
そのような見ず知らずの、何者とも知れぬ人に、ニ千円も喜捨できるとは私からは驚きである。
托鉢生活している私は、普段百円が基準の生活をしている。百円玉が10固集まって千円だ、千円札を見るのはまれだ。托鉢で五百円玉を頂くことも、まれにしかなく、五百円玉を頂くと嬉しくなる。門付けで千円を貰ったたことは何度もある。しかし千円とニ千円とはとても違う。知人というか私の支援者から数千円のカンパを頂いたことはある。
面白い話の一つもできない、見知らね私にニ千円の接待してくれた彼の布施の精神は素晴らしい。
それに比べ、布施を受ける私の貪りの心は無くなりそうもない。布施の額が多い方が嬉しくなる私である。修行たりません。
草々
[PR]
by henroseikatu | 2012-01-21 14:04 | 托鉢遍路 | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード
<< 托鉢遍路№021 野宿遍路の仲... 托鉢遍路№017 始めての喜捨... >>