托鉢遍路№031 牟岐托鉢 12月7日2011年

●托鉢遍路№031 牟岐托鉢 12月7日2011年

久しぶりにちゃんと門付けができた。
徳島市街地でスーパーの托鉢が上手くいって、門付けで良い成果がなかったので、門付けするのがおっくうなっていた。
今日、牟岐で門付け始めて最初は駄目だったけど、場所を変えて門付けしていたら、なんとか平均以上の喜捨が集まった。

どっちみち、根気につきると思った。喜捨があっても無くても、たんたんと門付けすること。
喜捨がないと落ち込まないこと、今までの経験から言っても、最初に喜捨が無くても続けていけば、やっぱり良い人がいて喜捨は集まってくる。
土地柄が悪いから喜捨が少ないのではなく、喜捨してくれる人の所に訪問していないだけだ。
今日は駄目だと、途中で無駄に休憩しながら悲嘆しないこと、先へ先へ行かないと、喜捨を集められない。

と、以上は午前中に行った各家の玄関を訪ねて托鉢する門付けの話。
以下は夕方からスーパー前での托鉢の様子。

これから先、四国東沿岸沿いを南下していく。南下して行くと町は小さくなり、大きなスーパーも無くなる。
牟岐には駅前にポルトと言うショッピングセンターがある。(徳島、小松島以南唯一)その核核になっているのがオキタと言うスーパーだ。

スーパーの正面玄関を背に3時半から托鉢を始めた。
一時間位は喜捨がなかった。最初に夫婦で買い物に来ていた、おばさんが「寒いから気をつけて」と喜捨してくれる。次に職人らしき若い男性が入れてくれる。その次は男性が小銭を椀にまとめて入れてくれる。


そして、この日、小学生が三人喜捨してくれた。
一人は低学年の女の子、何度も私の正面に来ては私を眺めていた。そして、また来たと思ったら、椀にお金を入れてくれる。親にお金を貰ってきたのだろうか、感謝である。
高学年の男の子は、喜捨してくれて、しらばらくたって、また私の正面に立ち読経を聞いていた。お経を聴いてくれる人は、まずいないので嬉しい少年である。
読経が終わり、これは般若心経と言うお経ですと私が言う。すると少年はハイとあめ玉を差し出した。
私はありがとうと言って、すぐあめ玉をなめさせてもらった。何しろ、ずっと読経し続けていて、喉が少しかすれているし、疲れも来ていて、美味しいあめ玉でした。

理趣経百字偈は暗唱できるようになったが、その意味と漢字を書けるようにしょうと思っている。読経の合間に、偈の漢字と対応して日本語文を読んでいた。
すると「頑張ってな・・・本なんか見ないて覚えておけよ」と言われてしまった。
後から分かったのだが、言った男の人は、私と同じ野宿遍路だった。

それが悔しくて、その後に、般若心経の連続読経を始めた。
攻撃的な読経になった。大きめな声、口腔で響かせ、声質が厚くなる。何時もより腹に力が入っています。
すこし早め、たんたんと雨だれの様ではなく、癖が出てくる。抑揚が自然に出てくる。
息継ぎに忙しなくなり気分が高まってくる。
直立する、肩が張る、脚が左右に開きぎみになる。

ああ、これが三昧だなと思った。
般若心経読誦百反行とか光明真言百萬遍とかあるので念珠で数を数える準備をしていたが、数を数えていたのでは三昧には入れそうもない。
と今は思っています。

このように、朝は缶コーヒー買う余裕も無かったのに、晩飯の為に肉を買ってしまった。
ありがたや、托鉢に答えてくれる四国の風土。
これで明日いく鯖大師への納経ができる、携帯の料金も払い込んでおこう。
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by henroseikatu | 2012-01-21 16:33 | 托鉢遍路 | Comments(0)
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