●托鉢遍路№055 自作台車の人 1月14日2012年
須崎のスーパー玄関の脇の壁の前に座りこんで、遍路姿の男の人がいる。昼前のことだ。
白衣、笠、姿で正座している。前に、小銭の入っている椀があり、その影にデジタルの時計が置いてあった。
玄関わきに台車が置いてあった。プラスチックのパイプで形を作り、車軸に金属のパイプを使っている。衣装ケース風の箱にそってパイプは組み立てられている。
車体の下には、カゴが付けられ予備のタイヤが入っている。
私には、座って喜捨を求めることはなかなかできない。それは托鉢とは違う様にも思う。
有り体に言えば乞食を想起される。イメージとして乞食が座って物を乞うと言うのは私だけだろうか?
椀にお金を入れる為には、通行人は立ち止まり、しゃがまなければならない
立って、例えば手に椀をもち物を乞うのに比べ一動作ふえるので、施しをする人は少なくなる気もする。
下座を表すため、通行人に対して座っているのだろうか。立っているより憐れみを乞いやすく施しが多くなるのだろうか?
と考えた。まあ私も遍路を標榜しているが、大きな荷物引きながら、スーパー目指して歩いている。
客観的に見れば職業遍路に見えるだろう。乞食と言ってもかまわない。
でも、それなりの遍路として読経して歩きたい。