Fw:托鉢遍路№069 大規模ショッピングセンターでの托鉢 2月1日2012年


◎以下の文章は1日付けで書いています。


托鉢遍路№069 大規模ショッピングセンターでの托鉢 2月1日2012年

宿毛の町を門付けして歩いていたけれど、選んだコースが悪く托鉢できる家が続かなくて、根気続かず、30分で成果のないまま門付けを止めた。
それで夜の部のスーパーでの托鉢を頑張る気持ちでいた。

宿毛に3つの大きなスーパーをみつけた。その中でも一番大きい、「パルティフジ宿毛」で托鉢することにした。
食料品の他に衣料品の棟もあり、その他に本屋、百円ショップ、薬屋等が入っている。それらの店の前は大きな駐車場である。
大規模なショッピングセンターでは管理が厳しく、托鉢していたら「当店では敷地内での托鉢は、どなた様にも禁止させてもらっています。」等と言ってくることがある。とくに警備員がいるとよろしくない。このスーパーには警備員はいない。
お客さんが多いのだから、それだけ喜捨も期待ができる。

躊躇しながらスーパーの一番目立つ所に立つ。
私はスーパー入口の柱を背にして、広大な駐車場に向き合う、足元にザックを置く、ザックカバーには「南無大師遍照金剛」と書いてある。
そのザックの上には喜捨を受ける椀を置いている。
向かいの車を目標に見つめ、読経を始める。

いつも最初は勤行する。左手で片手合掌を顔前にする。右手で持鈴を持ち左手に合わせる。
それで節目に鈴を鳴らしながら、真言宗檀信徒勤行経典の真言やお経を唱える。
その後は、持鈴をしまい両手合掌で読経する。両手を合わせた方が読経しやすく心がこもる気がする。
般若心経を何度も繰り返し読経したり、延命十句観音経、般若理趣経百字偈、前記偈の日本語訳を繰り返し唱える。
こうやって読経している時は時間がたつのが遅い、時間がたたない。時計を見ても30分もたっていない。アインシュタインの言う時間の伸び縮みはあると思う。

最初に喜捨してくれたのは、女子中学生の二人連れ「少ないですけど」と言って椀に入れてくれる。
二番目は小学生高学年か男の子。
それ以降に大人たちが時たま喜捨してくれる。事前の期待には及んでいない。本来、喜捨に期待するきではないのだが、喜捨で生きている身としては、ある程度の喜捨は期待してしまう。
喜捨がある程度あれば、元気が出るのだが、今日はまだ元気がでない。
いつもスーパーの托鉢は2時間していて、その最初の1時間には何も喜捨がなく、その後に喜捨が続いたり、托鉢を終えようとする直前に大きな喜捨がある、ことがたまにある。
だから、途中で止めることは最後にある大いなる喜捨を失うことである、かもしれない。

今日は托鉢を夕方4時45分から始めた。既に暗闇である。6時45分まで托鉢をする予定。

読経していてもあまり気力が充分に満ちていなくて、間が持てなくなった。
そこで新試行を行うことにした。般若心経読誦百反行である。単に般若心経を念珠で数を数えながら百回唱えるだけである。

般若心経読誦百反行を始める。
般若心経を繰り返し唱えれば時間のことは考えなくても良い。
ところが、般若心経を、あと何回唱えるのか気になり、数を数えるために右手で押さえている念珠の場所を気にしだす。時計を気にしだすのと同じだ、いくらもたっていないのに、頻繁に気にしだした。

最初は百回のつもりで始めたのであるが、どうもその気力がなく、50回で終えることに決めた。それから、残りの数を確めながら読誦を続ける。
最後の50回目の般若心経の読経をゆっくりと心を込めて唱えた。唱え終わり、時計を見てみると、もう7時前であった。
これは使える、時間を気にしないで唱えることができる。三昧の気構えで唱えられれば唱えた回数も気にせずにすむであろう。

それから、いつもは寝場所に行き、テントを設営し、それからテントの中で夕飯を作る。
しかし今日は寒さ厳しいおり、スーパーで弁当を買うことにした。
惣菜売場に行くと、一部半額のシールが貼られている。それで私は半額のにぎり寿司のセットを買った。スーパー横のベンチに座りい晩飯にしたのであった。

そうそう、その日の喜捨であるが、後で数えると1356円であった。かって托鉢仲間と1500円あればまあまあだね、と話あったことがある。規模が大きくて人が多く集まる所で托鉢したとても、必ずしも大いなる喜捨があるとは限らないのである。と言う格言を私のノートに書いておく。


◎いま2日の正午すぎた所である。部屋にこもっている。雪は積もっていないが、時おり突風がふきぬける。雨戸を打ち付けた方が良いかもしれない。でも釘はないし、金槌もない。部屋とは30年来付き合っている私の愛しいテントのことである。

ps.書くべきことがあった。
このスーパーには、様子見していた昼頃から、カート等を片付けている若い男の人がいた。どうも社員の気がする。ずっと私の托鉢を見ていたはずである。私の視線の端っこに、倒れた客の自転車を直すのがみえた、私は無視をよそあおっていた。何も言ってこなかった、その男の人にありがとうと言いたい。
私の托鉢しているスーパーの玄関では植木や植物を売っていた。その邪魔にはなっていないと思うが、玄関の一番目立っ所に2時間も立っているのである。退かされても文句の言えない立場の私である。
スーパーフジさん托鉢を黙認してくれてありがとうございます。



橘安純こと大寺裕幸
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by henroseikatu | 2012-02-12 14:08 | 托鉢遍路 | Comments(0)
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