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犬はよく出てくる人は顔が見えない

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2012年8月10日(金)

87番長尾寺から前川ダムへ向かう鴨部川沿いの遍路道で門付けをした。毎度ここでの門付けでの喜捨はよろしくない。この結願寺への道筋は住民の慈悲があふれている?と言うような言い回しを読んだことがあるが托鉢者には向かってはいない。
地元の農家が多いようだが、農家以外の住宅も混じっている。

私が近づくだけで犬に吠えたてられることが多い。そんな家は読経せず退散することにしている。場合によっては隣の家もあきらめ、抜かし先の家に行く場合もある。
玄関先に行くと、玄関のすぐ左に犬小屋あり、柴犬風の犬が少し吠えた。私はなだめながら、お願いしますと言って読経を始めた。彼は小声で唸っていたが、やがて家の土台に身体をあずけ座りこんだ。読経を終え、彼に向かい、上半身を下げ、ありがとうございますと言った。
玄関を探していると、広い庭に手で縮めて開ける門扉になっていた。その門扉を開け玄関に行こうと思ったが犬が放し飼いされているので、そこから家に向かって読経を始めた。読経しながら彼を?(彼女か判断できず)観察した。小型の座敷犬だ、相等な高齢者なのだろう、4つの足でよたよたと歩く、健康の為に散歩しているようだ。左回りに狭い範囲を、少しづつ軸を移動させながら歩き続ける。読経に反応していない、こちらを見もしない。高齢のため、眼も耳も利かなく、足は悪いけど健康のため歩き続けている彼なのだろうか?
玄関前で読経を始めると、家の中で犬が二匹ほど吠えたてる。読経を始めてしまったので、そのまま読経を続ける。家の中にいたら、うるさいだろうに、少し気が引けたが、読経を始めたら最後まで続けるのが修行である。テレビの音もしていたが、彼らが吠えるだけでご主人の気配はないまま私は読経を終え、立ち去った。

このエピソードを書くべきか少し悩んだが、今日は「毎度ここでの門付けの喜捨はよろしくない。」と言うべきではない本音をを書いてしまったから、時間あるしエイヤー書いてしまえ。
読経を終え道に出ると、既に読経を終えていた家からご夫婦が出てきた。私が駆けよると、ご主人を制してご婦人がお茶と百円玉一枚を喜捨してくれた。ご主人は左手に百円玉を数枚持っていたが、体が思うように動かせないようであった。

この遍路道の後半、高地蔵より先に、前の時に良いイメージが残るお宅があった。そのお宅て読経すると、多分同じ男性が出てきて「少ないですけど」と言って喜捨してくれる。少なくありません、少ない人の四倍ですから。

この時の門付けは、9時30分から12時00分まで、五人からの現金900円とお茶ジュース缶三本であった。

托鉢を終え、前山ダム休憩所で昼パンにした。
前山ダムの休憩所で話していた人が、夏子ダムまで送ってくれる、と言うので有りがたく車の接待を受けた。
本来なら最後の寺88番大窪寺に向かうのだが、今回別格のお寺も廻っていて別格20番大滝寺に行くのである。そのお寺が遠い。私は今、台車を引いていて車道を歩くが、道路は曲がりくねり地図の表示によれば、歩きの遍路道より車道は11.8kmも長いのである。
前山ダムから車で13.5km送ってもらったことになる。道中ただ一ヶ所の夏子ダムの休憩所、前山ダムから歩いていたら一生懸命歩いても夜道になっていただろう、まだ3時だけど明朝、大滝寺へと歩きだします。

この夏子ダムの休憩所から大滝寺までは車道で18.5kmです。頑張れば往復して明日の晩も、ここで野宿はできるかも知れないけれど、スーパーもないし、買ってきた食料も大してないし、頑張りたくないし、どうしますか?

と言うわけで、いつものようにスーパー托鉢もせずに、携帯でメールを打つことに専念できて長い文章が送れます。
と言うわけで、おやすみなさい。
by henroseikatu | 2012-08-10 19:05 | 托鉢遍路 | Comments(0)
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